天才的手腕と凡人的思考。

朝。キッチン。糞親父と二人きり。
箸を太鼓のバチみたいに両手に持って、目の前の食器をリズミカルに叩く。もちろん暇潰しに。

チンチキチンチキチン

「糞親父ー飯まだかよー」
目の前で気怠そうにフライパンを捌く黒い背中に文句を垂れて。
「煩ぇ!黙って待ってろ糞ガキ!」
そう言って振り返るなり見た者全てが死にそうな一瞥をくれて、軽々とフライパンに乗った卵の塊をひっくり返した。機嫌は最悪。おぉ怖ぇ。
 飯の為に死ぬのは御免だったから、悪魔の如き糞親父を急かすとか無茶な事は諦めて、手元の茶を啜る事にした。他に口に入れるモンがねぇんだからしょうがねぇよな。 ぼやきながら箸を放り投げて湯飲みを口につけたところで。悪魔がくるりと、フライパンごと向き直った。なんだ糞親父その笑顔。
そのままフライパンを、振りかぶる。
「出来たぞ糞息子!たんと食え!YA―――――HA―――――!!」
「お、おい!やめろよ!普通に盛ってくれ!飯くらい普通に…」
 突然の糞親父の暴挙に(ンなモンは年がら年中だが)啜ってた茶を吹き出しそうになって、顔を庇いながら椅子ごと後ずさった。なんだ!?顔狙いか!?テメェにそっくりなこの顔に喧嘩売る気か!?ところがそんな心配を余所に勢いよく飛んで来るのかと思ったその卵の塊は、思いの他穏やかなカーブを描いて見事俺の皿にぽすんと着地した。後ずさった格好のまま唖然呆然。
今日の朝飯は、オムライス。
「普通だろうが。なんか文句あんのか?」
「………ないッス」
「文句言ってねぇでとっとと食え」
 どうも腑に落ちねぇとか思いながらも皿の上のオムライスにケチャップでぐるぐる模様を描いて、スプーンでつつけばふるふると柔らかそうに揺れた。中を割ってみれば実によくできた半熟だった。恐る恐る口に放り込む。見た目に騙されるな俺!コイツの作者は負かりなりにも悪魔だ!悪魔なんだぞ!実際のお味は、あの悪魔が作ったとは思えない程繊細だった。
恐るべし糞親父。
「味にご不満はゴザイマスカ?」
「…ゴザイマセン」
「ケケケ」
 糞親父は完全に負けた俺を愉快そうに眺めた後で、小鍋に入った卵粥をよそって寝室に持って行った。正確には寝室の母さんのところへ。そうなのだ。我が家の良心ともいえる母さんは、昨日の昼から高熱を出してダウンしている。しかもそんな時に限って母さんに瓜二つの俺の姉貴が地域のお泊まり遠足とくれば。…そうじゃなかったら箸で食器叩くとかオムライスが飛んで来るとかはまず有り得ない。
 日頃炊事洗濯買い物全てを請け負っていた母さんが寝込んだ時は本気でどうなるかと思った。そりゃあまぁ何より母さんの体の方が大事なんだがいかんせん飯が。あの糞親父が家事なんか出来る訳がねぇと思ってたし。食器洗ったりとか洗濯とかは小学生の姉貴が日頃母さんを手伝ってやってたのを見てたから心配はしてなかったにしても、やっぱり目下の不安は飯だった。いくら器用な姉貴だってさすがに料理までは(だってまだ低学年だし)危ないのを理由にそんなにやらせてもらってはいないようだった。だからやっぱり目下の不安は飯だな。と、思ってたのに。
テメェお泊まり遠足かよ俺も連れてけ!
 嗚呼これでこの家で生活するのがほぼ不可能になったばあちゃんちにでも家出しようかファッキン!と、思っていたら。意外や意外、母さんが寝込んで姉貴がお泊まり遠足に行った日の夜。案の定料理を作ると言い張る母さんを無理矢理ベッドに寝かせ、糞親父にメールはしたものの早くなんか帰って来る訳ねぇよなと途方に暮れてキッチンで呆然としていた。あぁ俺このまま餓死すんのかな、とか有り得ない事を考えながら。
 そうしたら突然玄関のドアが開いて糞親父が飛び込んで来た。正直未確認飛行物体見るより驚いた。帰って来るなり寝室に行って、直ぐにキッチンに来たと思えば絶望と驚愕が同居した様な顔をした俺の横で、驚異的な腕前を披露したのだ。その時糞親父がチラリと俺を見てニヤリと笑った。なんかムカついた。
それで現在に至る訳だが、まさかあの悪魔の申し子の糞親父があんな自在に中華鍋を操るとは想像もできず、ただただあんぐりと口を開けるばかりだった。まぁ、それはよしとしよう。お陰で俺は餓死せずに済んだ訳だし。それに今の問題は、別の所にある。
昨日今日のコレで分かったが、アイツは片付けができねぇ。
料理はすげぇが食器や器具はそのまま。服のセンスはそれなりだが脱いだら脱ぎっ放し。部屋は使えればそれでよし。お陰でたった一晩で、まるでゴミ置き場の様な有様だった。
 じゃあせめて洗濯くらいはと、昨日溜まった洗濯物洗ってくれよと糞親父に物申した。恐れ多くも。そうしたら言ってみるもので心底嫌そうな顔をしながらも渋々洗濯機に向かって行った。よしこれで我が家がゴミ屋敷になる事だけは辛うじて避けられそうだぞ とほっと胸を撫で下ろしたのも束の間。
糞親父にンなものを頼んだ事を、死ぬ程後悔した。
洗濯機に下着だろうが白地だろうが色物だろうが全部一緒に叩き込んで洗剤を箱ごと入れようとした。さすがに死守した。ゴミ屋敷は御免だが、泡屋敷はもっと御免だ。

「親父!違う!箱ごと入れんな!」
「あぁ!?大人数の分量がわかんねぇんだよ!洗えりゃいいだろうが!」
あぁずっと一人暮らしだったんだっけか。
「そう言う問題じゃねぇよ!用法容量はよく守って使え!」
「薬じゃねぇだろコレは!」
揉めた挙げ句、洗剤計量用スプーン一杯で勘弁して頂いた。洗濯物の種類に関しては敢えて言及しなかった。まだ死にたくねぇよ俺だって。やっぱり姉貴は、必需品だった。もそもそと糞親父特製のオムライスを平らげて、食器を流しだったものに持って行く。洗い物が山積みで底が見えない。そうこうしてたら糞親父が出てきた。
「おい、昼過ぎに糞娘迎えに行くぞ」
 あぁ姉貴!我が家の救世主!今なら姉貴の為なら死ねると思った。一瞬だけ。そう言い捨ててソファーにどっかと座り込んでノートパソコンを開いた親父を見、オムライス跡地を見、山積みになった食器を見て、なんだか悲鳴を上げている様に聞こえなくもない洗濯機の音を聞きながら、親父に言ってみた。俺にしてみれば実に素直な台詞だったが。
「なぁ親父」
「なんだ」
「良かったな、母さんが掃除好きで」
「あ?」
「じゃなかったら今頃ゴミ屋敷だぞ」
「…」
何もされない代わりに殺人的眼光が飛んで来た。否定しないと言う事は多少なり自覚があるらしい。頭脳明晰容姿端麗尚且つ驚異的に器用な悪魔の様な男でも、案外庶民臭い弱点があったんだなと思ったら、なんだか可笑しくなった。

…俺の親父だと言う事はさておいても。




【夫婦で、まもりが風邪ひいて代わりに家事をやるもののうまくいかずに息子にダメ出しされる蛭魔】 れのん様に捧げます