WORNING!!

今日は始めっから何かがおかしかった。昨日は至っていつも通りだったハズだが、今日のアレは一体なんなんだってんだ?


 初夏の陽光がカーテンから差し込む日曜の朝。俺は自宅の黒革張りのソファーに身を沈めてパソコンを弄ぶ。真っ黒な液体を啜りながらディスプレイ隅の数字を見遣った。
そろそろ来るな。
いつ如何なる時も約束した時間の5分前には姿を現す件の女。唯一此処に自由に出入りする事を赦されている女。
…腹減ったな。アイツになんか作らせるか。
ピンポーン。タイミングよく鳴るチャイム。合鍵持ってんだからサッサと入ってくりゃいいだろ、と何度か言ったものの、本人は改める気はないらしい。曰く、
アナタと違って人間ですから礼を弁えてるんです!
…俺も人間なんだがな。そう思ったのは此処だけの話。ガチャガチャ鍵を開ける音がして、お邪魔しますーという台詞と同時に部屋に入ってくる気配がする。
「相変わらず時間通りだなー糞マネ」
そういって顔を上げた瞬間、手に持っていたマグカップを取り落としそうになった。空腹が、どこかに行った。気がした。

* * *

 あれ、ヒル魔君固まってる…。やっぱりお化粧やり過ぎたかしら?それにしてもまさかこんな顔が見られるなんてねー。気合い入れて来た甲斐があったかしら。自然とニヤける顔を抑えながら荷物をソファーに乗せてエプロンを手に取る。もうお昼だし、そろそろお腹減ってるわよね。どうせまともに朝ご飯食べてないだろうから。
「ヒル魔君、何食べる?」
「…」
こっちを見たまま無反応。珍しく、心ここにあらず。
「…ヒル魔君?」
「…なんだ?」
ようやく視線が合う。
「あれ、聞いてなかったの?だからお昼何食べるの?って」
「あぁ…米ならなんでもいい」
いつもと同じ語調。目線は既にパソコンへ。
「?わかった。どうしたの?惚けちゃって」
そんなに衝撃的だったのかしら?
「誰が惚けてるって?テメェじゃねぇんだ、誰が惚けるか。とっとと飯作れ、糞マネ」
「ちょっと!そういう言い方ないでしょ!?」
と言う程怒っているワケでもないのだが。先程の表情はすっかりと鳴りを潜めていつもの様に笑う。
ケケケ。
それはもう、いつもの彼だった。

* * *

なんだってんだ?どうしたんだあの女。
 薄化粧ながらブロンズのアイシャドウで彩った顔。いままで化粧なんざしたこたぁなかったクセに。心なしか立ち姿を意識した姿勢。なんでいつもより胸強調してやがんだ。初めて見た。あの化粧顔。 初めて見た。あの妖艶な立ち姿。思考がループする。仕事が手に付かねぇ。こんな些細な事で動揺してどうする。だが手は動いている。ポーカーフェイスも崩れちゃいねぇ。あぁ、今の自分は称賛に値するんじゃなかろうか。…大方雑誌にでも感化されたんだろ。あの馬鹿。
それにしても、アレだな。女っつーもんは化粧一つであんだけ変わるもんだったか?あぁ落ち着かねぇ。物凄く。

* * *

…結局さっきちょっと惚けてたくらいで後は全くの無反応だわね。もうちょっとリアクション欲しかったなぁ。でもいつもなら「なんだその顔」とか言うハズなのに今日は何も言わなかったよね。
…多少なり動揺してるのかしら?
でもまぁやっぱり雑誌に載ってた事をそのまま試すのは安直過ぎたかな。ま、ここまでしたからにはもうちょっと便乗してもいいかもしれない。それより、思いの他疲れるわね、この姿勢。

* * *

飯ができたらしい。
女が出来立ての炒飯と中華スープが入っていると思しきカップを並べていく。目の前に揺れる女の睫毛。睫毛長ぇな。ご丁寧にマスカラまで付けてやがる。何のつもりだこの女。隣りに、女が座る。
「「いただきます」」
 前に無言で食べ出したら糞マネに散々小言言われた挙句謝るまでお預けを食らった事がある。面倒臭ぇ事極まりねぇからそれから言うようにはしちゃいるが。
そんなお決まりの台詞を吐いた時、肩に女の頭が乗った。おいおいこれから飯食うんだろが。気にもせず炒飯を口に運ぼうとした時。視界に俺のじゃねぇ炒飯が乗ったスプーンが飛び込む。しかも目の前。
…本当にどういうつもりだこの女。
盛大な溜め息。どうにも真意が読めねぇ苛立ちを込めた眼をくれてやる。
同時に、後悔。
見るんじゃなかった。糞!
潤んだ碧い眼、艶っぽい表情、少し開いた唇。気がつけば膝の上に白い手。女との距離4cm。ベージュの艶だったグロスに彩られた唇が微かに動く。声に籠る僅かな熱。
「口、開けて?」
俺は今、何を食おうとしている?

* * *

そもそも何故化粧とか立ち姿とかを気にしてみようと思ったか。
 ただ単純に雑誌の特集を鵜呑みにしただけなのだけれど。昨日学校でアコ達が見ていた雑誌に載ってた『オトコのコの落とし方』それを見ていたらちょっと試したくなった。まぁ試すと言っても付き合ってる訳だから落とすも何もないんだけれど。そもそもヒル魔君が世に言う『オトコのコ』なんて分類に入るとは微塵も思っていないワケで。だからこそやってみようと面白半分に慣れない化粧をして立ち姿にも気をつけて、雑誌宜しく小悪魔っぽく。それで張り切って今日ヒル魔君の家に来た訳なのだけれど。
いかんせんつまらなかった。
ちょっと動揺したかしら?なんて思ったりもしたけれど結局は至って冷静いつも通りでパソコンをいじっていた。あぁもうこの人にはそんな浅はかな考えで生まれた稚拙な攻撃なんて痛くも痒くもないワケね!
だから全力で対抗すべく、いつもの自分をかなぐり棄てて思い切って大胆にもこんな事をしている次第であります。正直あんまり先のことは深く考えていなかったのだけれど。
だからこの直後に、やっぱり私は浅はかで、やっぱりこの悪魔は演技派で、やっぱり敵わないんじゃないのかと痛感した訳なんですけども。

* * *

 この女はここまで積極的な女だったか?初めて見た。情事以外でのオンナの顔。冷静な顔を作る。僅かな動揺さえも押し殺す。ここで理性が飛ぶのは妙に積極的な姉崎の攻撃に屈するのと同じだと馬鹿みてぇに抵抗しちゃいるが。飯も食えねぇ女も食えねぇこれじゃあ蛇の生殺しだ待てされた犬状態だクソったれ!
「…テメェ、こりゃ何のつもりだ?」
「何のつもりって、見ての通りよ?」
艶を帯びた笑み。…俺が聞きてぇのは昼飯の献立だ。正直色々限界だ。
「今日の昼飯はコレかテメェか、どっちだって聞いてんだよ」
 両方を見比べる。あぁ、この糞女、自分がやってる事の意味をよく理解しちゃいなかったな。顔が真っ赤だ馬鹿。
やっぱり糞雑誌かなんか読んで思い付いたクチか。そんなんに踊らされるくらい単純過ぎるテメェはやっぱり馬鹿だがそんな単純さのどツボに嵌まった俺はもう本当に救いようがねぇくらい馬鹿だ馬鹿大馬鹿だ。糞!!

決めた。今日の昼飯はコレしかねぇ。




【積極的なまもりにタジタジな蛭魔】 雷亜様に捧げます