夏の弾丸

明日から、夏休みに入る。
 大学は試験が終わったばかりで、皆それぞれに試験が終わった解放感とか追試の心配とかで一喜一憂していて、そういう私はと言うとそんな周囲を余所に既に明日からの夏休みにしか意識がいっておらず、並んで歩く友人の言葉なんかもう右から左だった。そんな様子は見た目にも明らかだった様で。
「…もう!まもってば話聞いてる!?」
「え、あ、ごめん聞いてなかった。んっとなんだっけ?」
きょとんと返事を返した私に友人が大きな溜め息をついて肩を落とす。
「はぁ…まも、最近変だよ。なんか落ち着きがないっていうか…。まぁ毎回長期休み前はそうだったっけ。
どうせ彼氏が来るんでしょうけどねー毎回恒例だけどー」
友人がニヤニヤ笑いながら私の左手薬指に視線を投げて、さも面白そうに言う。
「左手薬指に指輪なんて大層仲が良い事で」
 ニヤニヤニヤニヤ、それでも嫌味なものは一切感じられなくて、私も釣られて笑った。でも内心は少し複雑だった。だって彼氏通り越して夫なんだもの。もちろん夫は例の悪魔。でもその事実を知っているのは元泥門アメフト部メンバーとアコと咲蘭くらいなもので、大学の友人には誰一人として教えてはいなかった。だって高校卒業後すぐ結婚なんてさすがに早過ぎると思うし、現に自分がそうであってもその認識は覆りもせず。
況してや遠距離結婚だなんて。
 それなのに第三者が知ったらどうなるだろう。噂がたつのは嫌だったし、その話題でからかわれるのも嫌だった。いくら大学生で皆大人だからと言ってもネタにしないとも限らないし。第一私達は真面目に結婚しているのだ。ままごとなどでは断じてない。だからこそ、興味本位でからかわれるのは耐えられなかった。そのせいか周囲に言う気にはなれず。それでも泥門出身者は私の名字で全て悟っているのだろうけれど、口にするのも恐ろしいのか不思議と噂が広がらない。
…もうこうなると一種魔除けよね。
NFL入りしてからテレビで取り上げられてるのもちらほら見る様になったけれど、アメフトが日本ではそれ程ポピュラーじゃないのが功を奏して知っている人はほとんどいなかった。
「じゃあ今回も打ち上げはこないわよね」
一人考えに耽っていた私に投げられたその一言で思い出した。そうだった、私達は今試験後恒例教育学部の打ち上げの話をしてたんだっけ。
「うん、ごめんね」
いつもいつも申し訳ないなぁと思いつつ、それでも浮き足立ってしまって断っていた。だってとてもじゃないけどそんな気にならないんだもの。
「それにしてもアメリカと遠恋なんて凄いよねー。愛があればなんとかってか」
そう関心した様にうんうん頷いて友人が言う。…やっぱり遠恋どころじゃないんだけどね。
「また男共がガッカリするだろな」
「え?」
なんでそこで男の子がガッカリするのかわからなかった。
「え?って…あんた相変わらずわかってないのねぇ…。まもの事狙ってる奴、多いんだよ。今日だって蛭魔さんは来ないのかって散々聞かれたし」
ふぅ、と溜め息を吐く。
「あはは…ごめんね」
苦笑いする私を一瞥して、でもまるで気にしていない様に言った。
「いいのよ!彼氏がいる子狙うのがおかしいんだから!」
 本当にこの子のサバサバしているところに救われてるなーと、ふと思った。だから細かい事でも気にしてしまう質の私がそこまで気にせずに済んでいる。彼がいなくて無意識にも常に心細さを抱えている今、そんな友人達に救われている部分は大きかった。そのまま他愛のない事を話していたら、ふと彼女が時計を見るなり慌てた様に立ち止まる。
「うわっ!ごめんまも!あたしまだ今日の試験残ってたの忘れてた!」
「大変!頑張ってね!」
「うん、ごめんねー!」
 そう言って手を振りながら校舎へと駆け出して行った。まもなく響くチャイム。うーん間に合うかしら。心配しながら背中を見送って、図書館にでも向かおうかと方向を変えようとした時、後ろから声を掛けられた。
「蛭魔さん」
「はい?あ、先輩…」
やっと慣れてきた新しい名字に反応して振り向けば、背後に同じゼミの先輩。あぁ出来れば会いたくなかったのに。
プレイボーイ克つしつこい事で有名な、この先輩。
現に何回か声をかけられて挙句付き纏いに近い事も何度かあっただけに。
…どうにか切り抜けられないかしら。
顔に愛想笑いを張り付けながら、そう、思った。


* * *


あーどれぐらい振りだ?日本に来るのは。
 遠征だ合宿だの合間を縫って日本にくんのも面倒っちゃあ面倒だが、嫌だと言やあそれはそれで嘘になるもんだから、結局今日本の地に両足着けて糞女がいる大学内を闊歩してる訳だが。しかもでけぇスーツケースを引き摺ったまま。
俺はとにかく無駄が嫌いだ。
 だから会おうとした人間にすぐ会えねぇとか用事がすぐ終わらねぇとかがとにかく嫌な訳だ。単純に言えば。結果でかいだけで邪魔なスーツケースを日本の自宅に置く事もせず、糞女房を攫いに…もとい迎えに来たっつー半端に合理的な方法を取った。あぁ面倒臭ぇ。ゴリゴリケースを引き摺って、片手でケータイを操作して電話をかける。擦れ違う連中の眼がなんだか妙に刺さるがンなモンには用はねぇんだよ。そう思いながら電話の向こうの音声に意識を集中させれば。
おいおい電源入ってねぇじゃねぇかよ使えねぇ!
 …そういや今日で試験が終わるっつったか。今の今迄忘れちゃいたが。糞!あの女の事だから律義に電源切ってるに違いねぇ。ンなモンに構わず電源くれぇ入れときやがれ糞女!忌々しく舌打ちをすれば側を通りがかった野郎がヒッと声を上げて逃げ出す。チッ何年経とうが変わりゃしねぇな。アメリカから戻って直ぐからゴリゴリ荷物を引き摺り回し、ケータイが繋がらねぇせいで自力で女を探す羽目になった挙句、いらん視線を一身に浴びたまま、知らん大学内をうろうろ動き回らざるを得なくなった現状に段々腹がたってきた。言っただろうが俺は無駄が嫌いなんだよ!

剰え。

ようやっと見つけた尋ね人が。知らねぇ虫と抱きあっていたら。あぁ愛しのファッキンハニー。
お前が虫を殺すか俺がお前を殺すかどっちか選ばせてやる。
有り難く思えよ?ファッキン!


* * *


一瞬何が起こったのかわからなかった。
先輩に声を掛けられて、軽く挨拶して、図書館に行く事を告げてその場を離れようとしたら。突然抱きすくめられて現在に至る。あぁ周りの視線が気になる。
とにかく、気持ちが悪い。
「ちょ…っ離して下さい…!」
「何言ってるんだ。付き合ってるんだから当然だろ?」
言っている事が理解出来ずに、固まる。
「その左手の指輪は僕があげたんじゃないか」
 そうか、この人は、さっきのあの子との会話を盗み聞きしてたんだ。何度声を掛けられても私が頷かないから、それでこんな話を。大抵の人間が試験を終えてのんびり往来を繰り返す中央広場で。通行人に聞こえる程の大きな声で言っているのか。案の定、周囲に人だかりができだして、一刻も早くここから逃げ出したかった。冷やかす様な口笛の音が酷く耳につく。
最低だ、この男…!
「早く離して下さい…!」
両手を突っ張ろうとしても男女の筋力差は明らかで。そして耳元で囁く。
「何言ってるんだ。これでもうすぐ僕らは公認カップルになれるのに」
エゴイスティックで自己陶酔的な意見に吐き気がして、この時ばかりは真実を周囲に伝えなかった事を呪った。まだ知っている人間がいたら、状況は変わっていたかも知れないのに。
「この指輪は…あなたじゃなくて私の」
夫に貰った物なんです。
そう言おうとして、抱き付いて離れない先輩の方から鈍い音がした。つい、そっちに目を遣る。そういえば心なしか冷やかす声が冷えた空気に取って代わっている様な。原因は、すぐわかったけれど。

ゴリリ。

先輩の後頭部に突き刺さる程押し付けられた鈍く黒光りする筒。嗚呼この状況とあらばその凶器でさえ愛しい。
「チッ…この糞女、ンなこったろうと思ってたが案の定誰にも言ってねぇな」
「ご、ごめん…」
なんでここにいるのとか大学内で凶器振り回さないでとか周りに人が沢山いるのにとか、そんないつもの文句を言っている場合じゃなくて、兎に角、謝った。
「だッ誰だ!?」
声がひっくり返っている。 確かに普通に日本で生活していれば拳銃突き付けられる事なんかないもの。
「さぁ誰でしょうねぇ。俺ぁそこの糞女に用事があるだけなんだがな」
地の底を這う様な低い声。
「な…っき、君の様な人間が彼女に用事がある訳が…」
「ほう?」
「そ、それに、まもりは僕の」
更に押し付けられる拳銃。
「おっと、馴々しくそいつの名前を呼ぶんじゃねぇぜ糞野郎。頭に風穴空けられてぇか?」
間違いない。この人本気だ。眼は直視出来ない程妖しい光彩を放ち、眉間には深い皺が変わる事なく鎮座していて片眉はギリギリまで吊り上げられて。
そして今、撃鉄を。

ガチンッ

「…!!」
ゆっくり先輩が腕の力を緩めてやっと私は開放される。そうしたら次は右から腕が伸びてきて、気がつけば今度は妖一の腕の中に。周囲に走る緊張。先輩は両手を上げたまま茫然とこちらを見ている。 恐怖一色に染まった顔で。
「この糞女!手間かけさせやがって!せめてケータイの電源くれぇ入れとけ!」
「ご、ごめんなさいここまでしつこいとは思わなくて」
一気に捲し立ててシャツにしがみついた。抱かれていた感触が拭えない。気持ち悪い。
「いーい機会だ、教えといてやる、糞大学生共」
しかも嫌な予感がする。
「んー!んー!」
抵抗を試みるも胸にしっかり顔を押し付けられていて声が出ない。むしろ息さえ危ない。そこまで言ってから左手でガシリと私の左手を掴んで高々と掲げて更に一言。
物凄く楽しそうな声色で。
「指輪の意味くれぇわかんだろ!糞野郎共!」
その直後、校舎が壊れるんじゃないかってくらいの悲鳴が轟いたのは、もうお約束。


* * *


 ゴリゴリケースを引き摺って、大学から出た頃には既に日が暮れていた。あの騒動の中攫ってきた当の本人は始終俯いたまま俺に手を引っ張られ続けている。いい加減なんか喋れよ、オイ。
「なんだ、まだ怒ってんのか」
「怒ってないわよ…」
声が小さい。
「どーせ『周りに知られちゃったわどうしよー』だの『冷やかされるわどうしよー』だの考えてんだろ。下らねぇ」
どうでもいい様に言ってやればガバリと勢いをつけて顔を上げて
「…!下らなくなんか…!」
涙目だった。
「下らねぇ。んな程度の事からかわれて潰れる程弱ぇ人間じゃねえだろテメェは」
「…!」
「何から何まで手間かけさせんな糞女房」
一回大きく眼を見開いてすぐにまた俯いたと思いきや、力一杯手を握ってきやがった。…コイツ実は満更でもなかったんじゃねぇか?
「おい、一旦帰んぞ、スーツケースが邪魔だ」
「うん…ん?一旦?」
「飯は外で。食う場所はもう確保してある」
「嘘…」
「嘘吐いてどうすんだ馬鹿」
その一言で顔を上げて満面の笑みを浮かべた糞女を見て、あぁ俺はこの表情が気に入ってんのかも知れねぇなと思った。言葉なんぞくれてやらんが。

その日の夜、一晩中鳴り続けた糞女房のケータイは黙殺する事にした。あと一秒糞女房が止めるのが遅かったらこの世から抹殺してたぞ、ファッキンッッ!




【高校卒業後すぐに結婚している事前提のまもり大学ネタで、蛭魔が大学にまもりを迎えに来て結婚が発覚して大混乱】
レン様に捧げます。