安物ロマンスに涙を注げ

 クッションを顔に押し付けて、体を小刻みに震わせているのが視界の隅に入った。 両手で締め付けてその上体育座りなもんだから、無駄にぎゅうぎゅうぎゅうぎゅうクッションがひしゃげて見ているこっちが息苦しい。薄暗い室内で勝手にしゃべくっている洋画によって我が家のクッションが無惨な事になっている訳だが、まあ、こんなモンでよくそれだけ泣けるなと思う。
くあぁと一つ涙が滲むほどの欠伸をして、大根芝居のラブロマンスを繰り広げているテレビを見た。
 テレビの中の女は涙を浮かべて男の服の裾を掴んでいる。身分違いの愛だかなんだか知らないが、俺にしてみればそんなモンで阻まれる様な程度の愛なら未練たらしくギャーギャー騒いでねぇでとっとと捨てちまえと思う。ぶっ壊す覚悟がなけりゃ先には進まねぇよ。なあ、そうだろ?ずずっと鼻を啜った音がして、女が顔を上げた。
きったねぇな、おい。鼻水くっつけんなよ。
そう悪態を吐こうとして眉間に皺を寄せて女を見た。
見たものの。
洋画のワンシーンで映った海と遜色ない碧い水が、女の瞳の上で揺れていた。こっちの方が洋画の白々しい海より絶対的に鮮やかだ。それでいて自然でもある。それがつるりと磨き上げられた白磁の様な頬を滑った。うまそうだ、と反射的に思った俺はとんだ馬鹿だと思う。顎をつーっと辿る涙を目で追って、女に聞いた。出た声は予想道理平素と何等変わらぬ淡白さだった。俺の演技力はこういう時に遺憾なく発揮されるらしい。
「何泣いてんだ馬鹿」
「だって…切ないじゃない、好きなのに結ばれないなんて」
尚もぐずる女はちらりと一瞬恨めしそうに一瞥をくれて、またすぐ安っぽいカップルに視線を戻した。目玉が動いたせいか涙がもう一筋落ちる。
あぁ、もったいねぇ。
そう思ったのが先だったのか、それとも行動が先だったのか。
俺の、俺の物ともつかない舌先が、女の顎先で滴る寸前の涙をべろりと掬い上げた。色通りの塩辛さだ。しょっぺぇ。
「ひゃ…!」
余りに突拍子の無い俺の行動に驚いたらしい女は、完全に眼前の安物カップルから俺に意識を移した。よし。
「なに、なんなのよ突然!」
慌てふためいた女がクッションを盾代わりにして俺から距離を置こうとしている。ケッ、そんなもんでどうこうなる訳がねぇだろ。
「うまそうだと思ったから」
「何が!」
「涙が」
露骨に心配そうに顔が歪む。若干腹が立つ。
「頭でも、打った?」
言うに事欠いてそれか、この糞アマ。
「サァ、ドウデショウネェ」
そう嘯いて、女が抱え込んで放さないクッションを掴みにかかる。
「ちょっ…!」
慌ててクッションを抱える腕に力を込め出したが、まるで意味がない。障壁は早々に取っ払うに限る。
「きゃっ!」
スポンと抜けたクッションを後ろに放り投げて、空いていた右手で女の肩を掴んで押し倒す。引き戻した左手でチャンネルを奪い取って偽カップルをこの部屋から消した。ご苦労。テメェらの仕事はもう終わりだ。
「もう…!なんなのよ!」
未だにゆるゆると瞳を独占し続ける涙は、さっきと何となく色が違って見えた。これはこれで味が違うのか否か。
「何となく」
テメェの涙に欲情したなどと誰が言ってやるものか。
「私映画観てたんですけど!」
「知ってる」
素っ気無く言ってやれば怒った女が牙を剥く。
「だったらもうちょっと待ってください!」
「飽きた」
「はじめから観る気もなかったでしょ!」
「知ってんなら諦めろ」
「何よそれ!」
「テメェ以外の女の泣きっ面見る趣味はねぇんだよ」
「な…ん…っ!」
俺が吐いたらしくねぇ台詞に牙を引っ込めて、代わりに眼を剥いた女の唇を奪う。でもそれも一瞬で、唇を放して女の眼に溜まった涙に舌を伸ばした。コイツの味が知りてぇ。
「…!ん…っ!」
ざらり。やや苦い。
「も…う…!さっきっからなんで涙舐めてるのよ!」
「だからうまそうだから」
「訳分かんな…ふ…っ!」
ぶつくさ文句を吐く女の事など無視して、胸をシャツ越しに掴んだ。ブラジャーが邪魔臭ぇ。もう一度唇を食んで、そのまま女の眼を見た。きっちり瞼が閉じられていてまるで見えない。閉じた瞼の隙間から、さっきと同じ色をした涙が落ちた。さっきの、苦いヤツだ。

ちがういろの、なみだがみたい。

 もぞもぞと胸を掴んだ手を動かして、女のシャツの下に入り込ませる。触れる度にびくりと動く女の肌を跳ねる俺の指は、フックを外してそのまま感覚をよく知る乳房を掴んだ。柔肌に沈む指に、俺の何かが刺激される。味わい続けた唇を放して耳朶を嬲った。
「は…」
女の口から短い息が漏れ出る。そんなもんでさえ俺の中の何かを動かすのだから驚きだ。
今まで手持ち無沙汰だった左手が漸く動く決意をした。するすると南下して女の腰骨まで下りる。そこをするりと指で辿って臀部を通って秘所へ下り立つ。若干蜜の味が恋しくもなったが、目下の目当ては涙だ。こっちじゃねぇ。
こっちは飽く迄誘発剤に過ぎねぇ。
試しに割れ目に指を這わせてみれば、案外よく濡れていた。
「…糞淫乱」
聞き逃さない様に耳元ではっきり呟いてやる。コイツは身体も馬鹿正直だから、言葉だけでもダイレクトに反応する。それがまた、堪らなく面白い。
「そんなこと…な…っ!ん…っ!」
さっきの一言のお陰で一層染み出した蜜にまかせて指を一本押し込んでみれば、女は眼を細めて身を捩った。碧い双眸からは水が染み出す。感情的と言うより生理的なやつだ。きっとさっきの俺が欠伸の勢いで出した涙なんかとは性質がまるで違う。筈だ。
「ふ…」
また短く息を吐き出して、観念したのか両腕を俺の首に巻き付けた。俺の顔が勝手に笑みの形に歪む。
「ヒル、魔…君」
俺の名前を呼びながら、俺の髪の毛をそろりそろりと掴んだ。掴んで、手繰り寄せる様に俺の唇を自分の唇へと誘う。
 普段なら自分から誘うなんてことは率先してしない女だし、俺だって誘導されてやる様な根性はしてないが、ことコレに関しては、情事の合間のキスに関しては好きにさせてやる事にしている。それだけコイツのコレが珍しいのだ。やっぱりこの女はつくづく面白れぇと思う。
誘われるまま柔らかい唇を啄んでみれば、喉の奥から漏れた喘ぎが唇を伝ってこっちにまで響いた。同時に零れたらしい涙が俺の唇の端から入り込む。苦いのかと思いきや、意外にも甘い。どんな顔をしてんのかと顔を上げて女の面を覗き込んで見れば、白い頬をうっすら赤くさせながらあおい涙を只管眼に溜めたその碧に似合わない熱を帯びた眼と眼が合った。
その妖艶な面に衝動的に差し込んだ指を増やしてぐちゃぐちゃと掻き混ぜてやると、顎を仰け反らせて軽く痙攣を起こした。口をパクパクさせて喉の奥から喘ぎを漏らしてただ、只管に。
それに伴ってみるみる間に溢れ出した涙に目を奪われて、馬鹿の様にそれを繰り返す。
手に入れたいものは何としても手に入れるタチだ。例えそれが他人の持ち物だろうと、それが他人しか作り得ない物だろうとも。だから、身分がなんだと甘ったれた事を抜かして放棄する糞恋愛には興味がねぇんだ元々な。そもそも「恋愛」にカテゴライズされるものにさえ興味がなかった訳だから、そこをいけば俺達だって糞映画の糞カップルくらいの難関は突破している訳だ。

だから。

ンな糞カップルの為に涙を流すな勿体ねぇ。
テメェの涙はうめぇんだ。
全部俺が、飲み尽くしてやる。

ぐじゅぐじゅと音をたて続ける指をそのままに手にした四角いアルミを口の端で破る。指をずるりと引き抜いて、代わりに薄い膜をつけた自身をそこに当てる。それを、一思いに突き刺した。
「んあぁぁぁっ!」
その衝撃のせいなのか、女はかぶりを振って突然襲った快楽に抵抗を示した。が。
そんなモンは俺が許さねぇ。
せっかく溜まったそのあおが、全部零れちまうだろうが。
繋がったまま女の顔を両手で挟んでこっちを向かせた。幸いあおは閉め忘れた蛇口の様にどんどん湧き出している。そうこうしているうちに女ともう一度バチリと眼が合った。そうしたら女が脱力した様にへにゃりと破顔した。ゾクゾクと背筋を何かが駆け上って、その顔をつまみにあおを嘗める。同時に女が耳元で何事か囁いた。
口の中でころころあおを転がして、ジワジワ脳髄を焦がす快楽によってぼーっとした脳で感じたその味は、女の囁きのせいかはたまた女の表情のせいか、胸焼けする程甘かった。