恋は電光石火の様に

駅前のスーパーでバイトを始めて早3ヶ月。衝撃的な物を見た。


 夕方のスーパー、特に特売日の夕方なんか見渡す限り無駄に化粧の濃いおばはんの海原で、カールな頭かキツイ香水に埋もれて仕事をするのが常だった。そんなある日。いつも通りの特売日。今日の目玉商品の棚の品出しを命じられた俺は、エプロンと営業スマイルという戦闘服に身を包み、戦地へと身を投じていた。
その時。

ゴロゴロゴロリ。
あっヤベェ!

 ちょうど陳列していた特売のジャガイモが、突如横から入ったおばはんのエルボーを脇腹に食らった拍子に床に転がった。歪な形のジャガイモは、不確定な軌道でゴロリと転がって、買い物客の靴の先に当たって止まった。
「すっすみません!」
慌ててジャガイモを拾いに行くと、白くて細い指が茶色い芋に絡んで優雅にそれを拾い上げて、俺の前にそっと芋を差し出した。
「はい、これ」
鈴を転がした様な声音に思わず顔を上げれば、一瞬外国人と見紛う容姿の女性が一人、花畑の真ん中に立っているかの様な笑みを湛えてそこにいた。
バイトを始めて早3ヶ月。衝撃的な物を見た。
 染めた様には見えない自然な薄茶の髪、海をそのままくりぬいた様な碧眼、それに、聖母マリアの様な微笑。俺の心臓は早鐘の如く打ち鳴らされ、血液は新幹線並みに体内を循環し、仕事中だと言うのをすっかり忘れてその場に固まった。中腰に手を突き出したままの大間抜けな体制で。
「あの…?」
「あっすみません!あ、ありがとうございます!」
 差し出した芋を受けとろうとしない俺を訝かって声をかけてきた天使様(もう俺の中の彼女のポジションはこれで決まりだ)にハッと正気に戻った俺は、慌てて白い手を握りたくなる衝動を抑えて芋を受け取った。その時俺は、彼女の左手薬指に何も嵌まっていない事をちゃっかり確認したのだった。抜かりないぜ、俺。それからというもの、俺はバイトの度にさりげなく店内を見渡して、天使様の存在を確認するのが日課になった。断じてストーカーじゃないぞ、店外まで追っかけたりはしないからな。
 指輪がないからにはまだ俺にもチャンスがある!と勢い込んで、毎週来る彼女を見つけてはチラチラと目で追い、探し物がある様なら率先して声をかけたりレジ受けた時は社割り使ったりして(本当はいけないけど知った事か)彼女と親しくなろう大作戦(ネーミングセンスが欲しい)を絶賛決行中だった。それの成果があったのか1ヶ月もしないうちに彼女から挨拶をしてくれる様になって、 あぁ脈があるかもしれない!と一人で興奮していた、とある日曜日。
嗚呼人生なんてもんはそううまくはできてないんだなと冷静に知ってしまう日がきた。
その時の衝撃ときたらエベレストから身投げするのと大して変わらないんじゃないのかと思う程だった。いやマジで。
 月末お買い得セールと被ったその日曜日は、そりゃあもう酷い込み様で、商品諸共店員まで買われていくんじゃないのかってくらいに揉みくちゃにされていた。そんな状況にも関わらずレジに居た俺の天使サーチアイ(ダサイネーミングだと笑われても良い)は、しっかり俺のレジに並んだ天使様をキャッチしていた。あぁこんな時こそ女神様に癒されよう今日は結構量多いな本当だったらご自宅まで運んで差し上げたいのに、とか不躾な事を一瞬で考えながら手だけは仕事に専念させる。無駄に器用だ。やっと天使様の番が回って来た。 さぁ最高の笑顔でお出迎えしようなんと言っても天使だVIPだと、ここぞとばっかりに俺としては最高の笑顔で天使様に微笑みかけて、そのまま固まった。
なんだか彼女の細い肩に、無骨で長い指が掛かってるんですけど。
「こんにちは」
 彼女のいつもと変わらない鈴の様な声と後光が見える笑顔さえ目に入らない程、その無骨な手の持ち主に目が釘付けだった。逆立てた金髪に4つのピアス。凶悪な目付きに人外に裂けた口に尖った耳を持ったその人物は、しっかり天使様の肩に手をかけて俺に向かって牙(人間なのに牙?)を剥いて嗤っていたのだ。
いやぁ楽しそうに笑っておられますね随分。なんだか視線に殺気が混じっているのですがそれは気のせいですか?
またすっかり仕事をするのを忘れて硬直する俺に、彼女が背後の悪魔染みた人物の説明をする。簡潔に一言で。
「あ、この人夫なの」
 嗚呼そうきましたか。彼氏通り越して旦那様ですか。ってかほんとだ今日は指輪嵌まってるじゃないですか。そういう彼女は実に幸せそうで、こんな顔を見るのは初めてだなぁと思考が止まった脳ミソが辛うじて弾き出した。
「あ、旦那様ですか…」
俺の口から完全に空気が抜けた様な声が出る。
「ハジメマシテ。糞妻がいつもお世話になってマス」
天使様掴まえてファッキン言いますかファッキンって。
「もう!ふぁ…って言うのやめて下さい!」
「ケケケ気が向いたらな」
「全く!」
目の前で惚気全開の痴話喧嘩(にも至らないのか)が始まって、ようやくフリーズした俺の脳ミソが動き出した。そうだ仕事をせねば。そんなこんなでしっかり手を動かしながら、それでもしっかり俺の耳は前の真逆を地で行く夫婦の話は余す所なく拾っていたのだった。
「テメェ普段から指輪着けろよ」
「え、だってこのスーパーの特売すごいのよ!人だらけで揉まれて一回指輪傷つけちゃったんだから!」
「それで外してんのか」
「そう」
「じゃ今日はなんで嵌めてんだよ」
「だって妖一が一緒だから。大抵人込みでも庇ってくれるでしょ?」
「…ソウデスカ」
…そうだったんですか。ってか極自然に惚気ておられますね。
「まぁ俺にしてみりゃ常時着けててくれた方が気苦労が減っていいんだがな」
「え?何よそれ」
「サァネェ」
 そう言って悪魔が笑顔でちらりと俺を見た。ドキリと心臓が跳ねる。その凶悪な目付きは宛らメデューサの様だった。俺まだ死にたくないんで勘弁して下さい。悪魔と天使の夫婦がようやく買い物を終えて、放心状態の俺に天使が軽く会釈してから買い物籠を運んで行く。持つのは悪魔な旦那様。
「知ってたか?テメェが指輪すっと必然的に死人が減るんだぞ」
「…なにそれ意味がわからないんですけど」
「おーおー鈍いテメェには一生わかんねぇだろうなぁ」
「鈍くて悪かったわね!」
この時ばっかりは、悪魔の意見に賛同だった。できれば犠牲者が出る前に指輪を嵌めていただきたい。是非。
それ以来、スーパーで客との恋愛を求めるのはやめようと思った。




【二人が夫婦と知らない第三者視点】 リクエスト下さった方に捧げます。