Tommelise 前編

ぎゃりりりりりと得体の知れない騒音で目が覚めた。

 いつもならもっとクリアで鮮明な音が枕元の時計から出る筈だが、今日に限ってはとんでもなく近所迷惑な(もしかしたら俺に限っての話かも知れないが)がなり声で怒鳴り散らした。寝覚めは最悪だ。糞ったれ。
ガチンと息の根を止めんばかりの勢いで目覚ましをぶち殴り、そのまま投げやりに腕を隣に伸ばす。大体寝覚めの悪い時は伸ばした先に触れる柔らかい茶髪を指先で弄んでから覚醒するのが常で、今だってそんな気でいる筈だった。ところが手は虚しく宙を掻くに留まる。
ない。
「あ…?」
 寝覚めの悪過ぎる頭のまま緩慢な動作で横を見れば。ない、のだ。何故か手元に在るはずの薄茶が。昨日の夜確かに隣で寝ていた筈の糞女の頭が何故かそこにいないのだ。寝相が悪すぎてベッドから落ちたのを疑ってはみたものの、あの女がンな寝相が悪ぃとはどうも考えにくい。寝方まで優等生気取りかとはよく思ったモンだったが。バタリと落としたものの目的のモノに至らなかった腕を、シーツの上から下までガサガサやってみた。往生際が悪ぃとは言わせねぇ。
こんなタチ悪ぃかくれんぼしやがったのはどこのどいつだ糞。
 確実に眉間に皺が刻まれ尚且つ寝起きで霞んだ目でじーっと女が消えたシーツを見ていたら、俺の腹の辺り、ちょうど女の頭二つ分下位の位置に得体の知れない盛り上がりが。なんだこりゃ。なんかいやがるのか?ってかなんかしやがったのかあの女。そのまま手をするするシーツの下の方、件の膨らみの位置までスライドさせてみれば探し求めたブツが、否それより柔らかいかも知れねぇそれが、そこに、居た。

今触れているものが糞女の頭だとしたら手よりでかいサイズの筈だし、第一髪が柔過ぎる。なんだこりゃ。寧ろ誰だ、これは。

 呆然とくだらんことを考えながら頭らしきものをくしゃくしゃとかき混ぜてみる。俺はまだ寝ぼけているのかとかこれは夢なのかとか間違えて違う家で寝てたのかとか。そうじゃなければ今シーツの中にいる体温の妙に高い何かの説明がつかん。

誰だ。

だれだ。

ダレだコイツ、は。

「ふにゃ…」
 得体の知れない誰かから突然聞こえた寝ぼけた声に、柄にもなく頭らしきものをいじくっていた手が、びくりと波打った。その声が、聞いたことがねぇ筈なのに聞いたことがある様な声音なのが妙に引っ掛かる。そんな俺の混乱を余所にもぞり、とシーツが動いてのそっと誰かがついに姿を現した。
薄茶の頭に白い肌、半分瞼に覆われた碧眼。ここまでは、明らかに俺が見知った女だった。ただ、サイズが二周りほど小せぇのはどういうこった。


「…!?」
「ふぁ…妖ちゃん、おはよ…」
 糞女に似てる糞チビにテメェ誰だと聞く前に、俺の名前を呼んでしゃあしゃあと挨拶してきやがった。
「妖ちゃん」は、結婚してからしばらく経った後に糞女が勝手に呼ぶようになった呼び名だ。不本意過ぎて威嚇も脅しもしたが、あの女には通用しなかったらしく結局俺が折れてやった。きっと俺が「折れる」なんてことは、後にも先にもあの女に対してだけだろうが。
当然、あの女以外には呼ばせる気は毛頭ない。
そんな曰く付きの呼び名をさらりとなんの躊躇いもなく呼んだこの糞チビは、間違いなくあの女なのだろう。っつーかなんなんだ。なんで、あの女が、こんなサイズ、に。
「…テメェ本当に糞嫁か?」
珍しく、ハッパかけることも平然を装うこともせず思ったままを口にした。恐らく言語を脳ミソに通すことを忘れる程俺はショックを受けているっつーことなのだろうが。
断じて、認めてなるものか。
「…はい?何言ってるのよ、そうじゃなかったら妖ちゃんの隣で寝てられないと思うのよ」
そりゃあ、そうかも知れん。質問を変えてみる。
「…テメェ身長いくつだ」
「…記憶喪失?」
「いいから答えろ」
「…162センチですけど」
間違いねぇ。あぁ間違いねぇ。コイツは間違いなくあの女で本人も気づかぬうちに縮んでいる。中身は寸分も変わらずそっくりそのまま、だ。
「…テメェ自分に違和感はねぇのか?」
気になるところではある。恐らく眉間に皺がよったままの大層訝しげなツラをしているだろう俺の顔を至極複雑そうな顔で覗き込んだまま、首を傾げて女は言った。
「別に無いわよ。…あ、ちょっと頭が重い…かな?」
それもその筈、見た目の年は大体5、6歳、ってなもんで、その年頃の人間の体格的共通点と言えば、頭がでけぇ所と言っても過言ではねぇだろう。
「別にどこも痛くねぇのか」
「痛くないわよ」
体が縮む、っつー現象は意外にも苦痛は伴わないらしい。これが俗に言う子供返りなのか。いやあれは中身がガキに戻ることを言うのか。だったら、少なくとも今のような状態を指す言葉じゃあ、ない。
「なあに?さっきっから変な質問ばっかりして。…もしかしてバカにしてる?」
 自分の体がどんなことになってるのか全く気付いていないらしい女は、ぷうっと頬を膨らませて俺を睨んだ。迫力も何もあったもんじゃない。寧ろ別のモノを擽られたような感覚だった。それが父性だなんだと言われたら、思い切り鼻で笑い飛ばすかも知れない。
「…どっちかっつーと俺が馬鹿にされてるような感じなんだがな」
「なによそれ」
ガキの顔に嫌に大人びた表情を浮かべた女はむくれただけじゃ飽き足らず、心底心外だといった具合で俺を睨んだ。こりゃあ、言ったってわかんねぇな。むんずと糞女の脇を掴んで持ち上げてみる。
「おら」
「ひゃっ!ちょっと何!?」
突然体が宙に浮いたのに驚いて、口から間抜けな声を出した。あっという間に、俺よりも高い位置に女がいて、それでそのままくるりと体を捩った。すとんと女を半回転させて膝に下ろす。
目の前には女がよく使っていた全身鏡があって
「目ン玉ひんむいてよーく見ろ」
そこには落ちそうなくらい目を剥いた縮んだ糞女がいて
「キャアァァァァァ!!」
金切り声で叫ぶ女の声に耳を押さえて仰け反る俺がいた。ファッキン!

イラスト:against the wind ヤメピ様