Tommelise 後編

 ぎっちりと力を入れた俺の腕の中の糞女、基糞チビ女は、事実を突きつけられたせいかすっかり勢いを失ってしょげた様子で俺の膝の上に座り込んでいた。眼前には、嫌に静かになり過ぎた部屋に居たたまれなくなった俺がつけたテレビが一台、目的もなく喋り続けている。さっきの騒ぎようは一体なんだったんだと溜め息の一つでも零したくなるようなこの憔悴しきった空間に、もう舌打ちさえも出なかった。女はどうしていいのか分からないんだろうが、俺だってどうしていいのか解らない。すっかり大人しくなった糞チビ女を抱えながら、暇つぶしついでに口を開いた。正しくは、動揺したっきりなのを誤魔化すカモフラージュに過ぎないのだが。
…知られてなるものか。
「これからどうする」
 俺の声にぽかんと上を見上げた糞チビ女の返事を待つ間、ガバガバのシャツの裾を気紛れに折ってやりながら(っつーか俺のシャツだが)糞チビの顔を覗き込んでみた。コイツの眼の碧は、こう見れば見るほどでかかった時と寸分もかわらねぇのがわかる。そこからいけば今のコイツはちっちぇえ頃のあの女そのものなのだろう。…今まで知り得なかった事を知るっつー行為は、無意識下に優越感を植え付けるものらしい。下から俺を見上げたまま呆けた糞チビ女は、思い出したように漸く口を開いた。
「わかんない、よ」
 小さくなった原因さえ本当に身に覚えがないのに、と言外に貼り付けて、そしてまた俯いた。ここまで覇気がなくなるのを見せられたらさすがの俺も不安になる。昔のドラマで交通事故で死んだ筈の女が何故かミニチュアサイズで生き返るとかいうのがあったが、ベッドで寝てて交通事故とかンなアホな事がある訳もないし、今のコイツはミニチュアを通り越して退化している。
…いよいよ、訳が分からない。
「…ねぇ」
「あ?」
「子供番組が、見たいな」
視界がぐらぁと揺れたのが、嫌でもわかった。おい、中身まで退化しやがったのか。まさか、まさか、このタイミングでそのセリフかテメェ。
「遂に中身までお子ちゃまになったんでちゅかー」
ありとあらゆる動揺を理性で覆い隠して蓋をして、リモコンを糞ガキ番組に変えてやりながら女をからかってやった。正しくは、からかっているように見せた。
「違います!…落ち込んだってしょうがないから、どうせだから童心に帰ってみようかなって思ったのよ」
なんだ。心配して非常に損した。本気で退化したのかとショックを受けて損した株で大損したくらいに損した気になった。あぁ時間と労力を返しやがれ糞ッタレ。俺の心中の葛藤なんか余所にさっきより多少テンションが上がったように思われる女は、俺が変えてやった教育番組にすすっと視線を遣った。
「わぁー…」
 でかい頃に見た時と縮んだ後で見たのじゃやっぱり色々違ったらしく、糞チビ女は見た目通り年相応のリアクションをしてテレビに魅入っていた。こんなもん、今だろうが昔だろうが俺には良さが全くわからない。チラと糞チビ女の顔を覗いてみれば、碧眼をゆらめかせてぱたぱた足を動かしながらくだらねぇ動きを繰り返す糞マスコットを目で追っていた。
チ、と喉奥で舌打ちを噛み殺して顎をやたらと柔らかい茶髪に乗せる。妙に高い体温のせいかでかかった頃よりも強く独特の甘ったるい匂いが鼻をくすぐった。本来なら噎せ返る筈のそれも、何故か拒否することなく鼻を抜けていく。腕や膝から伝わる体温も、熱い筈なのに不思議と不快に思うことなく俺の体温へと還元されていった。糞チビ女の頬にそっと手を添えて、その有り得ない程弾力のある、だが拒絶する事のない感触に安堵して、うっすら眼を閉じた。


「……いち」
それからどれくらい経ったのか、遠くから、声が聞こえた気がする。
「…ういち」
もう一回。さっきよりも鮮明に。
「よういち…?」
ほら、まただ。
「…妖一!」
「いて」
べち、と音がして何かが俺の頬を叩いた。知らぬ間に女の頭の上で寝ていたらしかった。
「人の頭の上で寝ないでよ!もー!」
「牛かよテメェは」
「違いますー!」
頭の上で寝た、とかいう俺の落ち度を棚に上げていつも通りにからかえば、もうとか全くとかぶつくさ言いながらもう一度女は視線をテレビに戻した。
ついてるのは、料理番組。
「…あ…?」
…ついてるのは、教育番組じゃあなかったか。
「ん?なに?」
俺のぼやきを聞き取って、女が俺を見上げる。
でかい。
頭も眼も腕も足も手も体も全部でかい。俺が今まで抱えていた筈のこの女の全てがでかくなっていた。いや正しくは、元に戻っていた。…いや、そういえば始めっから料理番組がついてた筈だ。っつー事は、今までのアレは夢、か?
「ナンデモナイデスヨ」
説明をするのも面倒で適当にはぐらかした。ましてやあれが夢で心底安堵したことなんぞ知られてもみろ。目も当てられねぇ。
「ふーん?」
『はぐらかす=説明する気がない』というのはもう承知の上なのか、それ以上聞いてくることもなかった。
「ねぇ」
その代わり、別の話を振ってきた訳だが。
「どっちかな?」
そっと自分の腹を撫でながら女は独り言を呟くように言った。あぁ、コイツか。コイツのせいで俺はあんな夢を見たのか。
「女だな」
「あら、随分はっきり言い切るのね」
驚きつつも、くすくすと笑いを混ぜながら女は言う。
「勘だ勘」
「妖一が言うんなら本当かもねー」
実に楽しそうに笑いながら女は腹を愛おしげに撫でた。
もしかしたら今なら、糞マスコットで童心に帰れるかも知れない。




ヤメピさんに捧げます