1.まぶしい窓辺

昨日からどうにも様子がおかしかった。
何か言おうとして言い淀んだり無為にそわそわしたり。まぁ一言で言やぁ落ち着きがねぇっつう話なんだが。そんな落ち着きのねぇ女は寝ている時でさえ落ち着きがなかった。宛ら全身にノミ飼ってて痒がっている犬の様な。右を向いたり左を向いたり、たまーに仰向けにはなるが俯せには絶対ぇならねぇ。何かの儀式だとか抜かしやがったら即病院送りだ糞女房。…まぁコイツなら言い出しかねないが。  コイツがゴロゴロ転がるせいで隣りで寝ている俺のシーツも巻き込まれて持っていかれる。海苔巻きの海苔よろしくきれいに女を軸にしてシーツが巻かれていくもんだから、見事に俺はベッドの上に寝ているだけになった。俺の上には海苔はない。6月とは言え朝の空気は冷たかった。
「…寒ぃんですがネ、糞女房」
当に起きている筈のこの女は何故こうなっても全く気がつかねぇんだ?こりゃギネスに載ったっておかしくねぇ程の鈍感さだ。
「あ、ごめん、ね」
そう言ってまたごろりと転がった女の顔は、心なしか赤かった。何照れてやがんだテメェ。
「何ゴロゴロ転がってんだテメェは」
そう聞けば、もごもごと口先だけで何事か呟いた。
「ん、とね、あの、その、うん」
挙句自己完結。
「うん、じゃねぇよ」
さっぱり意味がわからん。顔を益々赤らめて、もごもご喋りはまだ続く。
「あ、の、ね、できた、みたいなの」
「何が」
「その、だから」
キリがねぇ。これでも辛抱強く女の話を聞いていたつもりだったが、こうも埒が明かねぇんじゃ仮に俺の忍耐力が無尽蔵だったとしても途中でキレるに違いねぇ。あからさまに眉根を寄せて言ってやる。
「は、や、く、い、え、っつーんだよ糞女!」
はっきりと一語一語区切る様に言ってやれば、意を決したように軽く深呼吸して女は言った。上がった体温でほんのり色付いた柔らかい唇から放たれたその一言に、俺は石像の様に固まるしかなかった。
「できたみたい、なの。赤ちゃん」
…何て言った?確認する。今は朝で俺は起きててコイツも起きている、筈だ。断じて寝ぼけちゃいねぇ。よし、確認終わり。
「…もう一回」
「だからね!赤ちゃん、できたみたいなの!」
今度は躊躇わずにはっきり言い切った。その台詞を消化するのに些か時間がかかる。それ程に突拍子がねぇ、と思った。
「いつわかった」
そう尋ねればバツが悪そうに口籠る。
「ん、昨日…」
昨日かよ。
「…なんで昨日のうちに言わねぇんだよ」
「だって仕事で疲れてただろうし…今日、休みだし、今日言えばいいかなって… 」
女にしてみれば俺に気を使ったつもりでいるのだろう。だが俺にしてみれば、わかった時点で連絡を寄越せと事前に言っときゃよかったと軽い後悔が襲う始末だ。できたと言われなければわからない男の細やかな抵抗でもある。
「…よくねぇよ」
聞こえるか聞こえないかくらいのか細い声で呻いた。受胎に関しての男の立場はかくも非力なものなのか。案の定女の耳には呻きは届かなかったらしい。
「…怒ってる?」
「別に」
怒ると言うよりは切ないと言う方が心境としては近かったから、別にと言って誤魔化した。俺が切ないなんて台詞を言うと思うか?思わねぇだろ?
「じゃあ嬉しい?」
「…」
 この問い掛けには、何も答えなかった。素直に言う訳がないのをわかってて、敢えて聞きやがる。だから答えの変わりに女の指に嵌まった指輪に唇を落として、そのままそっと女の腹に手を添えた。もちろん女と手は重ねたままだ。
「…はっきり言えばいいのに」
「うるせぇよ」
 そう言って笑った女の顔は、これまでのどの顔よりもきれいに見えた。女っつーのは結婚するときれいになるとかいう話は、満更嘘でもなかったらしい。
腹に手を添えて柔らかい表情で俺に笑いかける女の顔は、ちょうど背後で陽光を採り入れ続ける四角い窓と重なって、まるで一枚の絵の様に見えた。眩しい。