2.瞳に焼きつく

 呆然と、目の前の人物を眺めていた。淡い栗色、澄んだ碧。生後間もないとはいえしっかりと受け継いだその特徴は、親のそれとは遜色無く確かに息づいている。レースのカーテンの合間から差し込む陽光を緩やかに受け取るそれらは、優性遺伝と言われる自分のそれらよりもずっと神秘的に見えた。こうすると、優だ劣だなどと言うのは所詮人間のエゴだなと思う。そういう意味じゃないと言われても、劣ると言う字を宛行われた時点でそうなのだ。
 ふわふわした、未だに芯を持たない髪を摘み上げてふっと手を放す。そんな無為な動作を何度か繰り返すと、ぼんやり俺の顔を見上げていた娘が、くすぐったいのか至って穏やかに笑った。それに釣られて俺の頬も緩む。こんな動作がこの俺から何とも自然に飛び出すなどと、高校当時の俺が見たらさぞ苦虫を噛み潰した様な面で眺めていた事だろう。そんな変革をもたらす程に婚後の俺の変化は凄まじいものがあった。特に、ガキが生まれた後は。そんな柄でもない事をほんの数瞬考えれば、なんとなく居た堪れなくなって手持ち無沙汰にふにふにと柔らかい頬をつつく。親になると言うのは、女程じゃないにせよ男にも変化を及ぼすものなのだ。否、寧ろそう求められているのかも知れない。後ろから、声をかけられる。
「コーヒー入ったよ」
「おー」
 軽く目を遣ればコーヒーマグを二つ手にした本家本元の茶髪碧眼が立っていた。そこから漂う苦い芳香が、それがたった今淹れられた事を告げる。差し出されたのを受け取って一口。 隣りには惜しみ無く笑顔を零す、女。
「朝からずーっと眺めてるよね」
「…悪ぃかよ」
笑みを殺す事無く実に楽しそうに俺の顔を覗き込んで言う女に若干眉を顰めて、相当愛想の悪い相槌を返すもまるで意に返す事なく、寧ろ楽しくて仕方がないと言った調子で女は返事をした。
「別にー」
隣りで糞甘臭ぇカフェオレを啜りながら俺に体を寄せて、俺がするのと同じ様にベビーベッドを覗き込んだ。
「眼、碧いね」
「あぁ」
「髪の毛も私と一緒で茶色だし」
「…そうだな」
「ねぇ、寂しい?」
「あ?」
「自分にあんまり似てなくて」
 そう言って、やや心配そうに女は俺を見上げた。寂しくねぇ、と言えば嘘になる、かも知れない。更に言えばあんまりどころか似ても似つかないのだ。一般的にはそう思わない方がおかしいんじゃねぇのか。成長してみないとわからないとは言うが、こうも俺の遺伝子が稀薄となると成長後も大方予想が付いて、俺に似なくて良かったなと胸中で一人ごちた。自分の顔の凶悪さくらい把握しているつもりだ。
「さぁ、ドウデショウネェ」
この茶も碧も、嫌いではない。
「こういう時くらいはっきり言えばいいのに」
 ねー。とかなんとか言いながら彩菜の頬を掴んでキャッキャと戯れつく。今ここでぶちまけてしまえば、寂しさ半分嬉しさ半分と言ったところだ。それ程までに、この親子の色は強烈な印象を持たせる。コイツがこの世に生を受けた時に真っ先に眼に入ったのは、この独特の色彩だった。実によく、世界を彩る。だから「彩」と言う字を当てた。珍しく直感だけで名前を付けた。後半は、隣りで飽きずにはしゃぐこの女が病室から偶然見えた菜の花畑を見て決めた。太陽に負ける事なく映える黄色に惹かれた、とか言ってたな。くすくす笑いながら「誰かさんとそっくりで」なんていう余計な一言付きで。
 今思えば、随分ロマンチストになりやがったな、と思う。それもこれも、隣りの糞甘浪漫被れのせいだと信じて止まない。コーヒーをもう一口飲んで、二対の碧をそれぞれ見比べる。俺が持ち得ない茶色も碧も、まるで俺の所有物である様に俺の眼に灼きついた。
恐らくそれは、俺の命が尽き果てても尚遺るであろう烙印の様な物だった。