1.シャンプーの減りが早い

押す。
手応えなし。
また押す。
反応なし。
もっと押す。
微妙に動いた音がする。
押す。
どこかの血管が、ブチッとキレた音がした。

押す押す押す押す押す。
ヤケクソにガンガン大人気なく連打し続けて、漸く手の平に溜まったのはギリギリ一回分、だが絶妙に足りねぇ俺用のトニックシャンプー。無理矢理中身を絞り出されたボトルは、いかにも軽いと言う体でカラカラと揺れるだけだった。

…無くなるの早過ぎやしねぇか?

 俺しか使わねえ。しかも大容量の筈のトニックシャンプーが。確かにワックスでガチガチに固めてりゃ一回二回のシャンプーじゃ治まらねぇから必然的に量は食うものの、だからって一か月で無くなるのはいくらなんだって早過ぎじゃねぇのか。仕方なしになけなしのシャンプーを泡立てて、濡れて力が無くなった髪を洗う。それでも目は空のボトルに釘付けだった。一応糞女が使ってんじゃねぇのかとかいう仮定を立ててみたりもしたが、あの女は頭皮がヒリヒリするとかいって絶対ぇ使う筈がねぇ。だからその仮定は即切り捨てた。首をどんなに捻ろうが理由なんか分かる訳もなく、しょうがなく量の少ねぇシャンプーでいかに効率よくワックスを落としきるかに論点を切り換えた。

おいおいなんでたかがシャンプーでこんなに悩んでんだ俺は。

 頭をひたすら泡立てながらも、解せねぇわ苛立つわワックス取れねぇわで大変だった。俺に腹を立てろと言わんばかりのシチュエーションだった。糞!更には原因が分からねぇときたもんだ。しかもコイツが無くなった場合、緊急で別のシャンプーを使わざるを得なくなる。この家にシャンプーは2種類ある。一つは俺のでもう一つは糞女のだ。ところが糞女のを使うのだけはどうしても避けたい。理由は簡単だ。匂いが。匂いがいただけねぇ。よりにもよって花の匂いだ。しかも、ゴージャスな。…ファーーッキン!
 女ウケしそうなボトルを忌々しげに見つめていれば、タイミングよく浴室のドアの向こう、洗面所から糞女の脳天気な鼻歌が聞こえてきた。人の気苦労など露知らず無神経に鼓膜を揺らす鼻歌に、若干の殺意を覚える。
…取りあえず、聞くだけ聞くか。
泡が一国を築いている頭のままで、顔だけ突き出して糞女房を呼ぶ。

「おい、糞女」
「はーい、なぁにー?」

歌いながら答えてんじゃねぇよ。

「シャンプーの減りがエラい早ぇんだがテメェ知らねぇか?」
「え?」

何故止まる、鼻歌。

「一か月前に入れ替えたばっかの筈なんだがな」
「や、やだなぁ、考え過ぎじゃない?ほら、記憶違いとか」
「俺にその可能性を求めるか?」
「え?あ、うん」

…明らかに挙動不審なんですがね。

「…正直に答えろ」
「はい?」

片付けるつもりだったらしいタオルを両手でしっかと握り締めて首だけこっちを向いた。動きがぎこちない。

「シャンプー使いやがったの、テメェだな?」
「…!」

ピクリと動いて目を見開いた。その碧眼を穴が開く程覗き込んで、更に追撃。

「どうなんだ?あ?答えやがれ糞アマ!」
「つ、使い、まし、た」

俺の剣幕に気圧されたのか、軽く後ろにのけ反って女が言った。おいテメェが原因かよどうしてくれる!

「あぁ!?なんでテメェが使ってんだテメェの分は別にあんだろうがこの糞強欲女!」

始めは気圧されていた女も、さすがに言いたい事を言ってみれば癪に障ったらしかった。

「な…何よその言い方!たかがシャンプー使っただけじゃない!なんでそこまで言われなきゃならないのよ!」
「ウルセェ!人の使うにしたって限度っつぅモンがあんだろうが!大体何に使えばこんだけ減るんだ!あぁ!?」
「あ、えと、それ、は…」

言い淀むのはまだわかるが俯いて挙げ句耳が赤くなるのはわかんねぇ。

「なんだよ」
「うん、とね」

モジモジしながら女が言った。

「その、ムダ毛の処理用に…使ってたかなぁって…」

呆気にとられるとは正にこの事を指すんじゃねぇのか。

「…は?」
「あのね、肌スースーして気持ちがいいものだから、つい、ね?」

おいおいおいおいふざけんな何考えてやがんだコイツは!

「…な に が 「つ い」 だ 糞 オ ン ナ !シャンプーだって書いてあんだろうがろくに字も読めねぇのかテメェ俺に喧嘩売ってんだろアァ!?」
「ちょ…そんな怒鳴らなくたっていいじゃない!勝手に使っちゃったのは謝るけど!シャンプー買って来てるの私なんだし!ちょっとくらい使わせてくれたって!」
「用途がおかしいんだよ!大体さっき言っただろうが限度っつぅモンがあんだろ限度っつうモンが!ンな事もわかんねぇのか元風紀委員が聞いて呆れるな糞馬鹿女!」
「い…いくらなんでも普通そこまで言わないでしょ!?えぇあなたが普通じゃない事くらい百も承知ですけどね、やっぱり言っていい事と悪い事があると思うのよ!」
「ウルセェよテメェに非があるクセに俺に説教垂れるつもりか!?随分偉くなったもんだなぁ!」
「偉くなんかありません!確かに非があるのは認めるけれどいくらなんでも怒り過ぎでしょう!第一私のシャンプーあるんだからそっち使ったっていいじゃない!」

不覚にも、ぐっと言葉に詰まっちまった。それが嫌だから怒ってんだよ糞女!

「…」
「…あれ?」
「…テメェは俺にアレを使えっつうのか?」
「うん。髪の毛サラサラになるよ。いい香りだし」
「…いいか、想像してみろよ。俺から華やかーな花の甘臭ぇ匂いがするんだぞ?テメェ普通にしてられるか?」
「………」
「………」
「………ぷっ」
「笑ってんな」

糞、ぶっ殺してぇ。

「くっ…ふふっ…ご、ごめん想像したらお、おかしくて…」

だからって涙出る程笑うか普通!

「…わかったか糞女房」
「わ、わかりました…ふふふふも、もうダメお腹捩れそう…」

殺意っつうモンは意外に簡単に湧く物らしい。

「テメェ…覚えてろよ…!」

 洗面所で笑い転げる糞女房を尻目に乱暴に戸を閉めて、手荒く髪を洗い流した。あまりに女のリアクションが癪に障ったもんだから、ほぼ空のボトルをひっくり返して中身を絞り出すとかいうみみっちいマネをしてその場をしのいだ。みすみす笑いのネタになってたまるか!
その日から俺のシャンプーが妙に減る事はなくなり、代わりに洗面所に糞女用のボディーローションが並ぶようになる。
あの後糞女がそれなりの報復を受けたっつうのは、まぁ言うまでもなく。