2.子供を忘れて帰ってきた

便所から出て来たら、待っている筈の糞息子がいなくなっていた。


 日曜日の昼、糞女が糞娘と一緒に家で甘臭ぇ菓子を作るなんつー拷問染みた事を抜かしやがったもんで、避難しようと眉間に皺よせたまま玄関で靴を履いていたら、5歳になった糞息子とびっしりかかれた買い物リストを一緒に抱えて糞女が駆けてきた。
「ねぇねぇ外出るんだったらこの子と買い物お願い」
「あぁ?俺はテメェらの拷問行為から逃れる為に避難すんだぞ?そこ掴まえて子守りに買い物かよふざけんな」
「…そこまで言う程嫌なの?ならしょうがないから今日の夕飯はケーキにするしかないわね。残念だったね妖介、お父さん妖介と出かけるの嫌なんだって」
そう糞女が言った瞬間、糞息子の妙に潤んだ眼と眼があった。普段はとんでもねぇ野郎のクセにちょっと蔑ろにされるとすぐ拗ねやがる。そこんところはあの女に似たらしい。
「…」
っつーかこの女、いつからこんな攻撃的になったんだ?前だったら絶対ぇこんな余裕の発言はしなかっただろうし、真っ先に怒っていた筈だ。
『そんな言い方ないでしょう!?』
とか。
そこをこの女、夕飯をケーキにすると宣った挙句、敢えて糞息子が拗ねる様に仕向けやがった。糞!卑怯なマネしやがって!…長く一緒にいると伝染するモンなのか、人間の性質ってヤツは。
「チッ…おい糞息子、出かけんぞ」
そう声をかければ一瞬にしていつもの糞生意気な笑顔に戻った。糞!変なとこばっかり似やがったな!
「あら、行ってくれるの?じゃあはい、これ今日の夕飯の材料だからよろしくね」
 にっこりと、満面の笑みで糞息子とメモを掴まされた。あぁテメェの笑顔が邪悪に見えんぜこん時ばっかりは。そうやって、喜々とした顔の糞息子をチャイルドシートに縛り付けて出かけた訳だが。一緒に買い物行けるのがそんなに嬉しいのかと思う程、糞息子がはしゃぐわいなくなるわでランチャーでも打っ放そうかとか、満更嫌でもない自分に嫌気がさしたりとか地味に忙しくしているうちに、大分時間が経っていた。さぁ糞大量の買い物終わったしそろそろいいだろ帰るぞその前に便所行ってくるから待ってろよと、一息にアイス食ってた糞息子に言い残してデパートの便所に行ってる間に糞息子が消えた。しかも荷物ごと。
おい!どこ消えやがったあの野郎!
 珍しく便所が混んでたせいで妙に時間食っちまったのは認めるが、さすがにあの糞生意気な糞息子とは言え荷物ごとかどわかされたとなれば多少なりとも慌てる訳だ。糞、絶対ぇ態度には出してなるものか。迷子センターに問い合わせようかとも思ったが、そこではたと最近の出来事を思い出した。
 あの糞息子、前アメフトの試合に行った時、俺が記者に捕まってる間にちゃっかりタクシー呼んで勝手に帰っていた事があるのだ。当然着払い。それで柄にもなく汗まみれで探していたという苦労が全くの無駄に終わったのを思い出して、あぁまたあの野郎勝手に俺が先に帰ったと思い込んで帰っちまったんだろ、変に要領いいから困るぜ全く。苦々しく溜め息を吐いてそれから10分後に帰る事にした。念の為に10分待ってから帰るなんつう(俺にしてみれば不可思議な)事をしては見たものの、全く気配さえ見せねぇモンだからいい加減苛々が溜まってきて、あんな馬鹿みてぇな量の荷物をいくら大人びた小生意気なガキだとは言え長距離を運べる訳がないと言う事に気が付かなかった。
おいおいガキに翻弄されてどうする、俺。ガキに翻弄されていたと気付いたのは不覚にも家に帰ってからだった。
「…ただいま」
「あ、おかえりー。結構ゆっくりだったわね。…あれ?妖君と荷物は?」
「…あ?糞息子帰ってねぇのか?」
「帰ってる訳ないでしょ!前勝手に帰ってきちゃった時にお父さんは貴方を置いて帰ったりしないから探してくれるまで待ってるのよって言ったんだもの!」
なんたる不覚。
あの糞息子、俺には糞生意気なクセに糞女に対してはテメェは犬かってくれぇ従順で、大抵言われた事は守っていやがる。…女の好みまで似るモンなのか。
「あぁ!?あのガキがンな従順な訳ねぇだろ!第一荷物ごとだぞ荷物ごと!そもそも誰が置いて帰らねぇって言った!」
「そんな事言ったって実際そんな事しないじゃない!それより荷物ごといなくなったんなら尚更ちゃんと探してよ!それにね!あの子はあなたが思っているよりずっといい子なんですからね!」
それはテメェの前だけだと言ってやりたい。
「あーもう探したも探したりだどうせ迷子センターなんざ使えやしねぇから、歩き回って探してやったにも関わらず見つからねぇときたもんだだからテメェが言う程イイコな奴なら機転利かせてちゃっちゃと帰ってんだろと踏んだんだよあぁ!?どこに問題があんだ説明しやがれ!」
正直立って待ってただけだったりするが。
「問題しかないでしょう!?そんな事正当化しないで早く探しに行ってちょうだい!」
糞女がものすげぇ剣幕で怒鳴ったタイミングで、ちょうど電話が鳴った。キッチンでケーキのデコレーションをしていたらしい糞娘が、呆れた顔して電話の子機を持ってきた。
「…はい、電話」
「もう!あ、ありがとうアヤ。もしもし?」
電話を受け取って糞娘の頭撫でた途端いつもの調子で電話に出やがった。…演技までうまくなりやがったか。
「え、妖介!?」
糞女の頓狂な声で思わずそっちを見た。おいおい電話かけて来やがったかこのタイミングで!
『あ、母さん?親父のトイレが長ぇー』
「「「…」」」
 公衆電話からかけてきたらしい糞息子の台詞で親子三人でその場に立ち尽くし、瓜二つの母娘に無言で睨み付けられて、盛大な溜め息と舌打ちを吐き捨ててさっきのデパートに向けて車をぶっ飛ばした。取締にでも来ようモンならぶち殺してやろうと思いつつ。
 結局便所行ってる間に糞息子は、催事場でやっていた駄菓子大市(甘臭ぇからと切り捨てて行きたそうにしていた糞息子を無理矢理引き剥がした)に、俺がいねぇのを好機だと思って齧り付いていたらしい。そこまで行きてぇんならはっきり言やぁいいだろお陰で二度手間だ糞!袋いっぱいの駄菓子に、にまにま気持ち悪ぃ笑いを浮かべた糞息子と大量の食料を車内に放り投げて家へと帰り着いた。…決めた、コイツにはケータイを持たせる事にする。まだ早ぇとかンな抗議は無視だ無視。そうでもしねぇと寿命が平気で縮みやがるなと薄ら寒い事を思った。


その日の夕飯が俺だけうっかりケーキになりかけたのはここだけの話。