幽囚の鵠 1

 泥門高校校舎裏。放課後、学校一人気がない場所にまもりは立っていた。今月に入ってから何度目ともつかない呼び出しに辟易していたが、無下にもできずに言われるがまま結局ここにいる。ほぼ100%まもりへの信愛の情を打ち明けるものだったが(一人だけ蛭魔と別れて欲しいと訴える奇特な女子もいたが、随分無粋なことを言うなと思った)笑顔を張り付けて振り子のような空返事を繰り返すだけで、大概が煮えきらない顔で去っていった。そして目の前の彼は、更に奇特な事に三度目の挑戦だった。彼は三度目の正直という言葉を信じているのかもしれないが、まもりにしてみたら二度あることは三度ある、だった。
 ある日渋面で部室にいた時、蛭魔に「面倒くせぇんならいい加減はっきり言ってやれ」と吐き捨てられた。確かにいつまでもこの状態でいて良い訳がない。本当に、ヒル魔くんの言う通りだけど、でも。と内心で呟いて、相変わらずの笑顔で挑戦者と対面するのだった。

 泥門高校は三年の夏休み前で部活が終わる。春大会が終わって、夏合宿の準備を始める頃。まもりの隣を狙っている彼らが攻勢を強めてきたのもちょうどその辺りだった。そして、蛭魔を取り巻く空気もまた以前とは異なって、やや好意的なものが含まれるようになった。肩書きと熱狂は恐怖をも凌駕するんだな、とぼんやり思ったものだった。そしてそれから暫く後、目撃してしまった。突然教室に飛び込んできた命知らずな彼女(件の奇特で無粋な女子)が蛭魔に告白と言う名の手榴弾を放り投げていったのを。
 まもりと蛭魔はワールドユースが終わった頃から所謂そういう間柄になって、それなりに進んだ関係になっていた。ただ、周りにアナウンスするわけでもなく目に見えて行動が変わったわけではなかったから、部活さえ終われば隣に蛭魔がいなくなる、これは好機だと思い込んだ男子が殊の外多かった。女子達はそれでも付き合っていると勘繰っていたようだが。暫くしてまもりは、自分の下駄箱にラブレターが積まれているすっかり慣れてしまった光景を目にして、唐突に教室で投げられた手榴弾を思い出した。何故か、むかむかとした不快な気持ちと共に。
 当時蛭魔はその告白を歯牙にもかけなかったが、周りはそうではなかった。降って湧いた様な悪魔の色恋沙汰に根も葉もない噂が飛び交ったのだ。それは好奇心の産物で、それらもまた知らないうちにまもりを傷付けた。結局、蛭魔の忠告を素直に受け止められなかったのも、その時に湧いた自身にも理解できない厭わしい感情のせいな気がする。そしてあの一言以来、こちらを特別気にする素振りを見せない蛭魔にも不信感を抱いてしまった。そんな得も言われぬ不快感と不安感を紛らわせようとラブレターを開けたのが運のつき。生真面目な性格が禍して今に至る。それ以来ほぼ毎日のように合間を見つけては呼び出されて、律儀にその場に向かっては能面の様な顔を晒しているのだ。そうでなくても、お昼一緒に食べようとか教科書忘れたから一緒に見てもいいかとか限定シュークリーム食べに行きましょうとか(シュークリームは少しだけ心が揺れた)学年問わず、隙あらば特等席を占拠してしまおうと言う青い人々に追いかけ回されている。まるで強風の中立たされ続けたように、薄く、着実にフィジカルもメンタルも削られている。10月も中旬になろうかという今、受験を控えて勉学に勤しみ、引退しても尚部室に通っているまもりを、果敢に挑んでくる彼らはどれ程理解しているのか。自分さえ良ければ、それでいいのだろうか。
 はぁ、と肚の裡で吐き出した色濃い溜め息は正面で気持ちを吐露している彼には届かない。だから当然、まもりの憂いも届かない。所詮は一方的な告白など、ただのエゴの塊なのだ。それを言えば、あの時の自分のよくわからない感情もエゴの塊なんじゃないのか。ふと浮かんだ苦い気分を能面の下に隠して、この儀式が終わるのをじっと待った。