幽囚の鵠 2

「…?」
セナはグラウンドに転がっているボールを拾いながら、微かな違和感に首を傾げた。
「セナ、どうした?」
「あ、うん…」
セナの視線の先には新入部員とパス練習をする蛭魔がいて、その様子は平素と変わらないように見える。だが人の顔色を伺うことに慣れてしまっているセナは、蛭魔の表情に違和感を覚えた。
「モン太、今日のヒル魔さん変じゃない?」
「んーそうか?いつもと変わらねえように見えるけどよ」
「うーんなんというか…機嫌悪い…のかな?」
いつもより眉間に皺が寄ってる様なない様な。うーん。
いつも通りの煮え切らない物言いでどんどん首が傾いでいく。
「ヒル魔先輩はいつもあんな感じだろ、早く行かねえと弾が飛んでくるぞ。俺先に行ってるからな」
「う、うん、そうだね、僕ももう行…ぐふっ」
ボールを拾い終えて勢いのままに振り返ると、いつから立っていたのか隣の栗田に思い切りぶつかってしまった。鼻を強か打って尻餅をついたセナを起こしながら声をかける。
「あっごめんねセナくん、大丈夫?」
「いや…僕こそすみません、気が付かなくて…。どうかしたんですか?」
「うん…ヒル魔が変だなぁと思って」
「え?栗田さんもそう思いますか?」
「あ、セナくんもわかった?なんていったらいいかわからないんだけど…お腹すいてるのかな?」
「…お腹?」
ぽかん、と呆気にとられた顔をして優しい巨漢を見上げた。その顔は至って真剣で、茶化しているようには見えない。
「元気なさそうっていうか、我慢してるのかな?だから、お腹すいてるのかなぁって」
「我慢…ですか?機嫌が悪いんじゃなくて…」
「機嫌が悪いのとはちょっと違うと思うんだけど…うーん、こんな時姉崎さんがいたらわかるんだろうけどなぁ」
確かにまもりが居れば僅かな変調も的確に察知するはずだ。ただ、彼女の姿は今ここにはない。夏休み以降確実に増えたアプローチによって、彼女の時間は削られ続けている。思えば、蛭魔の表情に違和感を覚えだしたのはその頃からかもしれない。
「もしかして…まもり姉ちゃんが絡んでたりするんですかね」
「うーん、そうなのかな。そういえばヒル魔、姉崎さんのこと心配してたみたいだよね」
「心配、ですか?」
「ほら、最近姉崎さんに声かける人、前よりも増えたでしょ。それでグラウンドにも来る人が増えたからこっそり追い払ってたみたいだよ」
「こっそり…」
そう言われてセナは、数日前の練習中にあらぬ方向からケルベロスの声と男達の悲鳴が聞こえたのを思い出した。振り返れば不機嫌なオーラを纏って腕組みした蛭魔が遠くに見えて、あえて見なかった事にしたのだ。触らぬ悪魔になんとやら、だった。
 蛭魔とまもりが付き合っているのは、デビルバッツの中では周知の事実だった。ただ二人は公言する訳でもなかったから、他の学生達は都合よく解釈しているようだった。ここまでまもりの気を引こうとする人間が増えれば蛭魔の機嫌が最悪なのは目に見えていて、ボールと一緒に銃弾が飛ぶんじゃないかと怯えていたのだが、蓋を開けてみれば平素と然程変わらずただの杞憂に終わった。と思っていたのだが、実はそうではなかったらしい。
「そういえばついこの間なんですけど」
セナは思い出したように呟く。
「僕の家で鈴音と夕飯を食べたんです。その時駅まで送る途中で落ちてたものがあって…」
「何が落ちてたの?」
「たぶん、薬莢…です」
「え?!」
「まもり姉ちゃんの家の近くだったんですけど、でもそんなの落とすのって、その…ヒル魔さんしか考えられないし…」
「もしかして、この間喧嘩してたのってそれかな…?」
数日前の、朝練の時の出来事だった。部室に行くと、あんな街中で撃つなんてとか煩ぇ糞鈍感の癖に文句言ってんじゃねぇとかいつもの舌戦が繰り広げられていて、早々に入るのを諦めて直接更衣室に行くことにした。犬も食わぬアレかなと思っていたが、そんな単純なものではなさそうだ。うーんと二人で悩んでいると銃声と共にセナの足元に衝撃が走った。グラウンドにめり込んだ銃弾が目に入って二人の動きがピタリと止まる。顔は、恐怖のあまりに動かせない。
「糞チビ、糞デブ」
「「はっ、はいっっ!」」
地の底を這う様な声で呼ばれてブリキの玩具のような動きで振り向くと、そこには不機嫌を隠そうともしない悪魔がマシンガンを構えて立っていた。眸は、とてもじゃないが見られない。
「練習中に堂々とサボるたぁいいご身分だなぁ!グチャグチャくっちゃべってねぇでランニングコース100周してこい!!」
「ひぃぃぃぃ…」
「えぇっ、100周なんて無理だよぉ」
「煩ぇ!穴ぁ開けられてぇのか糞糞糞デブ!」
「ひゃあぁぁぁ行ってきまーす!」
けたたましくマシンガンが喚いた音と同時に硝煙が立ち込めて、二人は脱兎の如く逃げ出した。それと入れ違いに小走りで駆けてくる女の姿を眇めた眸で眺め見て、鋭い舌打ちを吐いた。それは、硝煙に紛れてまもなく消えた。