4.夕焼け

 二人目ができた時にお願いして買ってもらったリビングの窓際に置かれたロッキングチェアに腰掛けて、幼い我が子を胸に抱く。9月とはいえまだ日は長めで、18時を回ってもまだ空は夕日に彩られたままだった。お陰で部屋は、オレンジ色。今日は日曜日だから、夕飯の支度は一任している。キッチンから声がする。
「ぱぱ!それアヤがもつ!」
「おー?コレ重てぇぞ?じゃお前こっち持て」
そう言って持っていたお盆から麦茶の入った容器を持って彩菜に渡した。中身の量はちょうど3分の1くらいかしらね。
「はーい!」
 それを元気な声で答えて受け取って、嬉しそうな笑顔を浮かべて運ぶ。そんな二人の姿は、一家団欒という単語が見事に嵌まる理想の親子そのものだった。正直あの人が、これだけ家庭に馴染むとは思わなかった。もちろんそれは中身の話。当然容姿は家庭とはちっとも結び付かないのだけれど。結婚した当初は恋愛と結婚の差を思い知ったりもしたけれど、子供ができてからはそんな事で打ちのめされる事もなくなった。
もしかしたら、お互い変化したのかもしれない。
 特に変わったのは妖一だ。それに決して表には出さないけれど、子供を授かって一番喜んだのも彼に違いなかった。仕事も社会人アメフトも以前の様に続けているけれど、子供ができて変わったのは無理をしなくなった事だ。もちろん残業になればしっかりやるし、試合も作戦もきっちりこなす。だけど子供ができてからは残業で朝帰り、そのまま試合なんていう無茶苦茶はしなくなったし、休める日は休んで色々手伝ってくれるようになった。身籠もった女は実にデリケートな生き物だとどこかで知識を得たらしい。パソコンでそんな類いのサイトを見てたなんて私は知らない。事にしておく。
 お陰で無事に彩菜が生まれて、今も腕の中には我が家の長男、妖介がいる。この子は彩菜とは違ってびっくりする程に妖一そっくりだった。予定日通り予想体重通りで恐ろしく計算付くなところまでそっくりで。そんな記憶を辿りながらオレンジに染まった室内をゆっくり見渡せば、夕日を反射した金と茶の髪がゆらゆら揺れてなんとも幻想的だった。この子の髪は今は黒だけど、そのうちこの色に染めあがるのかしら。きっとそうなっても反対しないだろうけれど。楽しそうにはしゃぐ声に乗って香ばしい芳香が流れてきた。うん、お腹が鳴りそう。
「おい、糞奥様呼んでこい」
「はーい!ままーごはんできたよー!えーときょうのごはんは、ぱ、ぱ…」
「パエリア、な」
「それ!です!」
「ふふ、はーい今行きまーす」
 この二人のやり取りはなんともおかしい。彼は子供の前では私の事を「糞奥様」と呼ぶし、彩菜はそれを聞いても「まま」と呼ぶ。妖一は頑として「ママ」なんて言わないし、彩菜は「ファッキン」なんて使わない。ゆっくり腰を上げて妖介をベビーベッドに移した。するとそれとタイミングを同じくして急にグズり出す。
「ふっふぁっぅああああ…」
「わっ、ど、どうしよう、さっきお乳もオムツもやったばっかりなのに…」
狼狽る私を捉えたらしい妖一が長い足ですたすたと近寄って来てヒョイと妖介を抱き上げた。いともたやすく。
「オイオイ、どっかの誰かと一緒で甘ったれだな」
「ちょっと!どっかの誰かって誰よ!」
「ケケケ、それで怒るっつーことは自覚がオアリデスネ?糞奥様」
「う…!」
しまった。言葉に詰まる。そんな様子をいつもの笑いで面白そうに眺めながら彼は言う。
「先に飯食ってろよ。コイツが泣きやんだらすぐに行く」
「え、いいの?」
「冷めてから食いやがったらぶっ殺す」
「うふふ、わかりました」
 不器用な夫の脅しか照れ隠しか紙一重の文句に笑ったまま頷いて、お行儀よく椅子に座って待っている彩菜の元に近寄った。席に着く直前、振り返り様に見た光景は、見事夕暮れに同調した父と息子の姿だった。
それは世界の何よりも、確実に私に生き付く風景だと、微笑み混じりに思った。