3.日陰の午後

カサカサと、葉擦れの音がする。少し湿り気を帯びた風が頬を掠って、葉を揺らしては木漏れ日を勝手気ままに操っていた。私はそんな葉の生い茂った樹の下にいる。
「ふあぁぁ…」
 欠伸を手で抑える事もせず、下草の茂った樹の根元に座り込んで大きく伸びをした。背中は完全に樹に預けている。梅雨の中休みともいえる天気のせいか、ちょうどいい具合に外気が暖められている。お陰でなんだか眠い。少し離れたところでしゃがみ込む柔らかそうな茶髪が見えた。それが急に立ち上がってパタパタとこちらに走りよって来る。それに伴ってゆらゆら揺れるボブ。読みかけの本をだいぶ大きくなった腹部に置いて、娘を笑顔で迎えた。
「ままー!」
「んー?」
ぎゅううっと両腕で抱き締めた。頬を髪に擦り寄せれば太陽と草の匂いがする。
「これ!」
抱き締められたまま小さな腕を私の眼前に突き出した。小さな小さなその手には、色とりどりの小さな草花。
「ままとあかちゃんに!」
そう屈託の無い笑顔で笑って無邪気にはしゃぐのだ。
「ふふっありがとう」
 零れた笑いは隠す必要がなかったから、惜しみ無くこの子に与えてあげよう。3歳になって数か月経た愛娘の頭をゆっくり撫でて、そのままそっと抱き寄せる。並んで樹の根元に腰掛けた。見えるのは緑と青。それから白も少々。家の近くのこの公園は都内とは思えない程緑が多くて、彩菜と揃って散歩に出かけるにはちょうどよかった。特にお腹が大きくなった今は出かけた時のいい休憩場所になっている。今も、定期検診の帰りで。
「ままーあかちゃんげんきかなぁ?」
「うん、元気よ。…ほらっ、今動いた!」
「え!?ほんとう!?」
 お腹の中で動く、という現象が余程不思議らしく、慌ててお腹に耳をくっつけた。ふふ、つい3年前は自分もお腹の中にいたのにね。全神経を集中させて様子を伺っているのが目に入る。その好奇心に溢れた瞳のいろが余りにも妖一そっくりだから、思わず笑ってしまった。生まれて間もない頃は父親に似ても似つかなかった我が家の長女は、成長するにつれ、表情が豊かになるにつれ、父親とよく似た瞳のいろをするようになった。それが、とても愛しくて。
気が付けば静かに寝息をたてて、お腹を枕にして眠ってしまっていた。確かにこの陽気じゃおかしくないわね。ふわふわ靡く髪の毛にそっと手櫛を通す内私もうとうとして来て、気が付いたら夢の中だった。


頭を手でぐりぐりされて、目が覚めた。
「おらとっと起きやがれ、糞風紀委員改め糞女房」
…なにその呼び方。
「な…ちょっなにそれ…ってあれ?お帰り」
「ただいま」
目の前には凶悪な旦那様がいて、眠ったままの彩菜を抱いていた。その姿は予想以上に父親だった。
「仕事は?」
「早めに切り上げた。土曜日くれぇとっと帰ってもバチあたんねぇだろ」
確かに、仕事がある日は基本的に帰宅時間は夜中よね。
「よくここがわかったね」
「車から呑気に寝こけてらっしゃるのが見えたものデスカラ」
嘘。車道からじゃここは見えないもの。きっと家にいなかったから捜しに来たのね。
「んっしょっと…あ、ありがとう」
ゆっくり立ち上がろうとしたら背中を支えてくれた。仮に一人抱えていても、その腕は力強い。
「おう」
短く返事をして、更に言葉を繋ぐ。
「検診どうだった」
「うん、元気に育ってますって。今度はね、男の子なの」
妖一がびっくりしたように数度瞬きをして、それでまたすぐに戻った。こんなリアクション珍しい。
「そうか」
「うん」
相槌を打ってそっと寄り添う。そのままゆっくり木陰から出て車に向かうも、前を見たままこちらは見ない。
知っている。
これは紛れも無い彼の照れ隠し。
「男の子、だって」
「…」
「嬉しい?」
案の定彼は何も答えずに、私の髪の毛をくしゃくしゃに掻き混ぜた。