3.寄り道しないで真っ直ぐ帰宅

カリカリカリカリカリカリカリカリ…
カタン。
 ふぅー疲れた。走らせていたシャーペンを置いて、キッチンのイスの背もたれに全身を預けて両腕を天に伸ばす。ゆるゆると上に上に。目を瞑って疲れを上に。いつもお昼になるとデスクトップに送られて来るアメフトのデータの数々。パソコンじゃ編集出来ないからプリントアウトしたいと言ったら文句を言いながら教えてくれた。
…結局教えてくれるんなら文句なんか言わなきゃいいのに。
 全く素直じゃないんだから。始めは少なかったのに段々量が増えて来て、送られて来る度に文句を言っていたのだけれど、実際データが送られて来た時に真っ先に手を伸ばすのは食べていたお昼じゃなくてプリンターのスイッチだった。それも無意識にやっているみたいで気がついた時にはプリンターが印刷するのを今か今かと待っていた。そもそもこんなのは会社のアメフト部のマネージャーにやらせればいいのに!私は主婦よ!主婦なのよ!?とは思ったんだけど。…結局律義にやっちゃうんだなぁ。なんだか悲しくもあり悔しくもあり。あの人の思う壺、と言えばそうなのだけれど。
 時計をふと見れば7時を回ったあたりだった。お昼を食べ終わってすぐから取り掛かったのにやっと終わった。途中で洗濯物を取り込んだりしたものの軽く5時間は経っている。もう!本当に何にも出来なかったじゃない!途中で息抜きにと淹れたカフェオレの残りを啜りながら一人ごちた。掃除とか買い物とか全部放り出してまでデータ整理に打ち込んだのは単純に外食が嬉しかったのもあるんだけど。だってそれだけ早く帰ってくれるって事じゃない?いつもなら週末は残業とか付き合いで飲み会とか(帰って来ると決まって機嫌が悪いのよね)で帰りがすごく遅いんだけど今日は珍しく一緒に夕飯。しかも外食。思わず浮かれてお気に入りのワンピースまで出してしまった。
 あ、そろそろ準備しなきゃ。全く!化粧しないと人死にが出るなんて普通言う!?まぁ逆に優しく言われたりしたらあの人の頭を心配しちゃうかも知れない。さっき今から出るってメールがきたから後1時間もしないうちに帰ってくるわね。

…シャワー浴びちゃおうかしら。せっかくだし。


* * *


家に帰ったら、糞女がまだ化粧してやがった。
「帰ってくるまでに終わらせろっつっただろテメェ!」
「ごめーん後ちょっとー」
言うに事欠いて後ちょっとーかよ、オイ。
「まさかデータまとめ終わってねぇとか抜かすんじゃねぇだろな!?」
「あ!それは終わってる!キッチンのテーブルの上にあるから!」
そう言われてテーブルの上に山積みにされた紙を引っ掴んで中身を確認する。
パラパラパラ…
 …文句は言うが完璧にこなしやがるな、相変わらず。だから他の奴にはやらせる気が起きねえんだが、ンなこたどーせ気付いちゃいねぇだろ、どうせ。まぁ言う気もねぇ訳だが。テーブルの上にデータの束を置いた時、寝室から糞女の声がした。
「ごめんお待たせー」
「おーおー待たされ過ぎて爺ぃになるかと思った」
「そんなわけないでしょ!」
パタパタとキッチンのあるリビングに入って来た女をからかってやる。
「あ、ねぇデータあんな感じでよかった?」
「まぁテメェにしちゃ上出来だな。データが甘クセェ事になんなくてヨカッタヨカッタ。ケケケ」
「もう!なんでそういう事しか言えない訳!?」
頬を膨らませてこっちを睨む。相変わらずからかい甲斐があるなーこの女。意図はわかってるクセに敢えて突っ掛かってくるからやめられねぇ。俺はケタケタ笑って靴を履きながら女に言う。

「で?何食いたいのか決まったのか?」
そう言うと一瞬惚けた顔をしてすぐに気付いて口を開いた。
「あ、うん。色々考えてたんだけどねーお隣りさんが言ってた駅前の隠れ家的パスタのお店がいいかなーと思ったんだけど、駅の向こうの本場のカレー屋さんも捨てがたいなーと思ってて、それよりモールに新しく出来たスイーツがおいしいらしいイタリアンのお店も気になるし…」
唖然。
 テメェよくあんだけのデータまとめながらンな事考えてたな。しかもそんな食いモンのことばっか。もうここまでくりゃ脱帽だ脱帽。呆れながら満面の笑みを浮かべた女を見遣る。いつになくお洒落しやがってそんなに外食が嬉しかったか?準備に時間かかったのは大方シャワーでも浴びてたからなんだろうがあの資料のデキに免じて目を瞑ってやる。取りあえず食いてぇもん早く決めろよ糞女房。糖度過多の糞女を車に押し込み糖度満点の車内に俺も乗り込む。嗚呼この悪魔と恐れられたこの俺が、こんな糞甘ェモンに塗れてっからどんどん甘くなりやがる!糞!

そうごちる反面こんなんなら早く帰るのも悪かねぇとほざいた俺の心の呟きは、しっかりキレイに黙殺する事にした。