常軌を逸する 3

「変わったな」
「うん、そうだね」
「ちょっとびっくりしたけどね」
純和風の落ち着いた旅館のロビーで、うまく空間に合う様に設えられたソファに身を沈めていた。同様に寛ぐのは茶を啜る雪光と茶菓子をおかわりする栗田。
「雪光はアイツに会うのは何時振りだ?」
「うーん…結婚式以来だね…。後は年賀状で見たくらいかな。ほら、写真付いてたから」
姉崎が率先して作ったであろう親子3人の写真が印刷された年賀状に、憮然とした態度で写っていたヒル魔の姿を思い出した。不機嫌そうではあるが嫌そうではない顔。
「高校の時のヒル魔じゃ考えられないけどね、家族写真なんて」
「本人が一番意外がってるんじゃないか?」
 俺も茶を一口啜る。それはそうだろう。なんせ一度として己の事を語ろうとした事がない男が、自分の家族写真をよりによって年賀状にして送る事を許可したのだ。余程の心境の変化があったとしか思えない。
「あんなに子煩悩だったとは思わなかったよ」
相当意外だったらしく笑みを零しながら雪光は言った。それはあの男を知る誰もが思った事だろう。もちろん、あの夫婦含めてだ。
「でもさすがにあんな大きなぬいぐるみ抱えて歩いてるの見た時は、世も末だなぁって思っちゃったけどね」
「それは俺も思った」
正直デスペラード宛らにぬいぐるみの中から銃が出たりするんじゃないかとか疑ってはいた。
「よっぽど可愛いんだね、彩菜ちゃんが」
「まぁあのヒル魔がああなるくらいだからな」
「だねー」
子供ができたと聞いた時はどうなる事かと思ったが、成程やってみなければわからないとは正しくこの事なのだろう。結婚当初は例の如く無茶をし続けるヒル魔とそれを支えながらも堪える姉崎とで周りがハラハラし通しだった。及ぶ感情が一方的であればある程、どちらかが弱体化する。この場合は正に姉崎がそれだった。だからそんなヒル魔の行動に耐え兼ねていつか三下り半突き付けられるぞ、と言ってみた事もある。初めは鼻で笑っていたヒル魔も喧嘩やら妊娠やらで「三下り半」が現実味を帯びてきたらしく、漸く後ろを振り返る様になった。姉崎も、昔に比べて随分と甘え方が上手くなった様に思う。甘え方と言ってしまえば言葉は悪いが、要は頼り方を知らなかっただけなのだ。だからお互いがお互いを解っている様で今一歩踏み込み方が足りなかった。
 そんな二人も妊娠という一大イベントで何か気付いたんだろう。子はかすがいとは実に言い得ている。今度は三人で茶を啜って、悪魔に抱かれて嬉しそうに笑う娘に目を遣った。きっとあの二人が変わっていなければ、あの笑顔もないだろう。
「ところでこの旅館ってテレビでやってるくらいの老舗だよね?割と急だった様に思うけどよくこの人数で予約取れたね」
「あーまぁそれは」
「ヒル魔だからねぇ…」
「まだ現役なんだね、脅迫手帳…」
 関心とも呆れともつかない溜め息が浮いては消えた。それにしてもなんでホテルじゃなくてわざわざこんな豪華な旅館を取ったんだ?という一同の疑問は、ロビー中央で相変わらず激しいリアクションをする三兄弟によってすっきり解決した。

「はあぁぁぁぁぁ!?有り得ねぇこの部屋割り!」
「なんだ黒木、お前だけ部屋が納屋だったか?」
「違ぇよ!っつーか酷ぇなお前ら!」
「お前のでかい声の方が酷ぇよ。んでなんなんだよ」
「おー!見ろよこれ!ヒル魔の部屋だけ露天風呂付いてんぞ!」
「マジか」
「マジだな」
「ちょっとーここ五月蠅いよー!何騒いでるのー?」
「あぁ鈴音か。部屋割りがな、ヒル魔の部屋だけ露天風呂付きなんだよ」
「あ、これ?これねー前にまも姐が露天風呂付き個室に泊まってみたい!って言ってたからだよ、たぶん。ふふふ、妖兄も粋なことするよねー!」
「へーあのヒル魔が…」
「ノストラダムス再来か」
「マジかよ!じゃあ俺も言ってみるか!露天風呂付き部屋に泊まりてぇ!」
「やめとけ、死ぬぞ」
「間違いなく死ぬぞ」
「骨くらい拾ってあげるよー」
「酷ぇ!」

「「「…」」」

開いた口が塞がらない。

「…だからこの旅館なんだね」
「とんだ子煩悩かと思いきや今度は嫁煩悩か」
「嫁煩悩…」

元からあの頭の中身はどうなってるのか気になってはいたが、こうまでくれば叩き割ってみたい衝動に駆られる。
当然、そんな余地はないが。