幽囚の鵠 3

 10月も中旬になると、18時を過ぎれば外は闇が降りてきて空気も冷えてくる。今日はグラウンドの照明設備の点検で、運動部は陽が落ちる前に散会して、アメフト部もご多分に漏れず例の二人を残して帰っていった。いつもの二人は暖房がかけられた部室で、いつも通りに作業をしている。ただ、一ついつもと違うのは、普段テキパキと作業をしている筈のまもりが、暖気に負けたのかペンを片手に船を漕いでいることだ。時折、ギッ、とイスを鳴らしては微睡みを振り払おうと頭を振るが、あまりに緩慢な動作ではそれは叶わない。
「…おい」
向かいに座ってパソコンをいじっていた蛭魔は、目の前で無意味な格闘を続けるまもりに呆れが混じった声を投げた。
「糞マネ」
「……ん…?」
「テメェ帰れ」
「………え…?」
そこまで返事をして、漸く覚醒しだしたらしい。重く落ちていた瞼がやや開いて、うっすら碧が覗く。
「まだ、やること、残ってるもの」
眠気を振り払うように一言ずつ噛み締めながら吐き出す。それを舌打ち一つで掻き消して、蛭魔は吐き捨てた。
「やることあるやつの態度とは思えねえな。糞野郎にかまけて寝不足か。さすが糞風紀委員の鑑はやることがチガイマスネェ」
「…なによ、その言い方」
「事実だろ。やる気ねぇんなら帰れ」
確かに、作業途中で居眠りしたのはまもりで、彼女に非があるのは明らかだった。ただ、何故そんな言われ方をしなければならないのか。また体の奥で、あのよくわからない感情が迫り上がってきた。
「自分だって、女の子にかまけて浮かれてるくせに」
「…あ?」
「噂になってるわよ。この間の子とデートしてるとか、よろしくやってるだとか」
「…」
「私には素っ気ないのに、他の子にはずいぶん優しいのね。よかったね、アナタの良さがわかる人が増えて」
「…」
「私が誰と会っていようが寝不足であろうが、ヒル魔くんには関係ないでしょ」
不満が一度噴出してしまえば、もう歯止めがきかない。寝不足と疲労がそれに拍車をかけて、泥のようにゆっくり、べったりと流れ出す。蛭魔の顔は見られなかった。見たらとんでもないことを言ってしまいそうだったからだ。
ギシ、と音をたてて、まもりは立ち上がった。無言の蛭魔に背を向けて、手にしたファイルを棚に片付ける。部屋は暖かい筈なのに、漂う空気は痛いくらい冷たかった。
「…関係ねぇ、か」
長く感じられた沈黙の後で、無感情な声が漂った。低く、底冷えするような声だ。まもりは、蛭魔の無感情な声に小さくため息を零す。その色のない声に涙さえ出そうになった。
「そうよ、関係ないの。だから構わない、で…」
居た堪れなくなって、微かな抵抗を口に載せながら振り返った瞬間、言葉を紡ぎきる前に体が硬直した。すぐ後ろに蛭魔が音もなく立っていたからだ。ギクリと背筋が強張る。固まった関節を無理矢理動かして顔を上げたが、直ぐ様後悔した。普段から鋭い双眸が、苛烈な怒りを湛えて更に鋭く碧眼を見据えていたからだ。目を逸らしたい。此処から逃げ出したい。だが、どれも、瞬きさえも赦されない。まるで釘が打ち込まれた様に動けなくなったまもりを動かしたのは、他でもない蛭魔だった。その右手でまもりの腕を乱暴に掴んで、すぐ隣の壁に縫い付ける。両肘を折ってまもりの顔の両脇に据えると、額がつくか否かギリギリの所まで顔を寄せた。息がまもりの頬を撫でる。それが、異様な熱を帯びている気がして背中に痺れが走った。
「な、に…」
やっと出たそれは、声と呼ぶには弱々しい。
「相変わらずテメェは、何にもわかっちゃいねぇんだな」
眇めた眸の奥深くで畝る怒りはそのままに、滑り出た言葉はいっそ白々しい程に優しかった。それが、総毛立つ様な恐怖をまもりに与える。
「なに、いって…」
「テメェは何がしてぇんだ。せっせと虫つけて来たかと思えば、勝手に嫉妬して勘繰ってなぁ」
「しっと、って」
「あぁ、鈍臭ぇウブな博愛主義者のマモリチャンは知らねぇ感情か」
口角を吊り上げて愉しげに言いながらまもりの唇に舌を這わせる。
「挙げ句勝手に疑われて自棄起こすとはなァ」
「いっ」
歯が、桜色の柔らかい唇に刺さり朱が滲んで、それをベロリと舐めとりながら囁いた。
「随分安くみられたもんだ。なァ、姉崎」
「ふぅっ…!」
細くて長い指が、慈しむように栗毛と耳に触れる。だが唇は、まるで別の生き物の様に荒々しくまもりの唇を貪った。鉄の味が口内を行ったり来たりする。まもりは、蛭魔の突然の変貌に思考が追い付かなかった。その原因を探ろうにも、呼吸がやっとで思考が定まらない。抵抗しようと蛭魔の胸板に両手を置いたが、押し返せる程の力も入らなかった。舌を絡め取られて、吸って、噛まれて。呼吸も赦されない程の口付けに翻弄される。耳を弄っていた蛭魔の手がするりと首筋を撫でて、腰まで降りてくる。それが明らかに意図を持って動いていることに気が付いて、まもりは慌てて無理矢理唇を引き剥がした。
「やめて、ヒル魔、くん!ここ、部室だから…!」
「…テメェは、俺にははっきり言うんだな」
「え…」
「今まで言い寄ってきたヤツには言わなかっただろうが」
「…!」
腰に回した手を止めずに、唇を耳元に寄せる。
「俺には何でも言うくせになぁ、下心丸出しの糞野郎共には嫌のひとつも言わねぇ」

どういうつもりか、おしえろよ。

「ひっ…!」
耳に息を吹き込みながら言われて体が震えた。恐怖に依るものか、快感に依るものか、それはわからない。
「それ、は…」
「相手に悪いから、か?せっかく声かけてくれたのにってか。だからテメェは糞甘臭ぇっつーんだよ」
乾いた音をたてて制服が一枚、また一枚と剥がされていく。
「マリアを気取ってるつもりか?それともメティスか。どっちにしろンな安っぽい慈愛の精神は糞野郎共には通じてねぇよ」
耳の孔に舌をぐるりと這わせて、左手でシュルリとリボンを外す。ブラウスが開かれて、気温差に身震いする。そうじゃなくても、震えが止まらないのに。
「そんなこと、は…」
「ねぇってか?なら今日のあの糞野郎はなんだ。テメェの糞薄っぺらい笑顔に釣られて来たんだろうが」
ブラジャーのフックを容易く外されて、羞恥よりも解放感が勝って息を吐く。グチュリと耳の中を舐って、それから。
「俺に言ったみたいに言えよ。やめて、ってなァ」
「痛っ…!」
耳朶を穿つ様に歯を立てられて戦慄した。それは畏怖によるもので、食物連鎖の底辺にいる様な錯覚さえ齎した。
「まぁ馬鹿は死んでも治らねぇから、いっそ殺してやっても、いいかもなァ」
そう嘯いて、耳に、頸に噛み痕を刻んでいく。頸に強く吸い付かれて身動ぎしたが、普段は拒むそれを今日は振り払えなかった。それは食まれる事を選んだからか、怒りに触れてしまった贖罪からか。露になった双丘を武骨な手で乱暴に包んで、強く頂をつまむ。
「ひゃあ…っ、やっ…!ヒル、魔くん、痛いっ…!」
「はっ、イイの間違いだろ、糞淫乱風紀委員が」
蔑むように呟いて、
「それに、俺の方が痛ぇなァ。似非マリアサマに俺のジュンスイな気持ちをズタズタにされたんだからな」
そう言って主張する頂に強く吸い付いた。
「あっ、やっ、ああぁっ」
強い刺激に首を反らせて、快感をやり過ごす。恐怖と快楽に、神経が昂っている様だった。悦楽に引き込まれそうになりながら、まもりは何故こうなったのか頭を巡らせた。例の彼女の噂を真に受けて、蛭魔に確認しなかったのがいけなかったのか、キリのない誘いを断りもせず作り笑いで流していたのがいけなかったのか。蛭魔がそっけなかったのは、ただこの激情を圧し殺していただけ、だったのか。
「っ…!」
主張する頂に歯を立てられて、嵌まり込んだ思考から無理矢理引き剥がされた。甘美な痺れが治まらず、下着が湿り気を帯びているのがわかる。思わず太腿を擦り合わせて気を紛らわそうとしたが、そんな動作を蛭魔が見落とすはずがなかった。クツクツと喉の奥で嗤って、手を下へと這わせていく。
「こんなんで感じてんのか?糞淫乱。テメェの信者が知ったら嘆き悲しむなァ」
「いや、ぁ…そん、な言い方、やめてぇ…!」
「テメェ、連中にどう思われてるか知らねぇだろ。オヤサシイ俺が教えてやるよ」
実に優しげな笑みを浮かべてまもりを覗きこんだ。だがその眸は、一分足りとも笑ってはいない。どす黒い欲望が蠢いているだけだ。
「誰もテメェのことなんか考えちゃいねぇ。連中が考えてるのは如何に他の野郎を出し抜くか、如何にテメェとヤるか、だ」
白い腹を辿った指がスカートをたくし上げて太腿へ触れる。下着越しに秘裂に指を這わせて擦り付けた。
「ぅあ…っ…!」
「お陰で虫が部室まで集ってきてなぁ、ケルベロスもいい迷惑だ」
ゆるゆると襲う刺激に膝に力が入らなくなって堪らず蛭魔の背中にしがみつく。図らずも力が入ってブレザーに皺を作っていった。
「テメェの家の辺りにまで湧きやがるからなァ、追い払ってやれば礼を言うどころか文句垂れやがったな」
眸が眇められて、眼光に苛烈さが増す。
「テメェの鈍さもここまで来るとはな。オメデタ過ぎて笑えてくるなァ」
いよいよ役にたたなくなった下着を引きずり下ろして、十分に濡れたそこを浅く弄ったかと思えば、指を一本彼女の中に突き入れた。突然のそれに声が抑えられない。
「あああぁっ!いや、ぁ…!」
碧い双眸から涙が溢れてきて紅潮した頬を辿る。
「言っただろ、面倒臭ぇんならはっきり言ってやれってなァ。いい加減性善説なんか棄てろ。テメェも周りも守りてぇんなら、な」
涙を堪能する様に嘗め取って、ごくりと呑み込む。蛭魔の喉が上下する様を茫洋と眺めて、とんでもないものを起こしてしまったとその時はじめて悟った。
蛭魔の気持ちが知りたいと思った。もっと見て欲しいと思った。たったそれだけだったのに。どこで方法を間違えたのか、獅子を起こしてしまった。いやもっと、質の悪いものかもしれない。
「ごめ…、なさぃ…!もぅ、赦し、てぇ…っ!」
淫靡な音を響かせて指をもう一本突き入れながら、蛭魔は詠う。
「それを決めるのは、テメェじゃねぇ」
熱で朱に染まった耳に唇を寄せて、吹き込む様に。脳髄を揺らす様に。
「俺、だ」
「ーーーっ!!」
同時に弱い所を擦られて、音にならない悲鳴を上げる。大きく身震いをして、背筋を張りつめて達してしまった。
「あ、ぁ…」
「ケケケ、浅ましいな、姉崎。品行方正が聞いて呆れるなァ」
ずるりと抜いた指を目の前で見せつけられる。それは蜜でぬらぬら濡れていて、まもりの羞恥心を煽った。
「やぁ…ぁ…」
「イヤじゃねぇだろ。こんだけ感じてたクセに」
手首まで滴ったそれを長い舌がこれ見よがしに嘗めとる。指の先まで嘗めとって、まもりの唇にその指を沿わせてじわじわ口内を犯していく。まもりは、それをも拒むことができなかった。体からは力が抜け、蛭魔にしがみつくのが精一杯だった。達した余韻が抜けきらない。むしろ欲が掻き立てられてもっと欲しているようだった。長い指で舌を摘まれて蹂躙されて、体の奥底から掻き混ぜられている様な感覚。いっそ理性を手離した方が楽なんじゃないかと思う程だ。指が口内から銀糸をひいて引き抜かれて、遠くから金属が擦れる音がする。ベルトを外しているのだろう。それからピリ、と何かが破れる音がして、何を期待したのかまもりの喉が鳴った。
「あぁ、そういやあなァ」
芝居がかった言い方で蛭魔が語る。
「あの糞野郎は吹奏楽部だったか」
「…?」
突然のそれに意図が読めず、まもりが惚けた視線を向けた。
「テメェ、携帯番号渡されてたな」
その左手にはいつ取ったのかまもりの携帯電話が握られている。それに眼を留めた途端、沈んでいた意識が浮上した。まさか。
「な、に…する気なの…?!」
「言っただろ、俺はオヤサシイってなァ」
確かに渡されたが、携帯にそれは登録していない。だが、蛭魔の前ではそんな事は意味を成さないだろう。
右腕をまもりの左太腿の裏に差し入れて高く上げる。あられもない格好だが、まもりにそれを気にする余裕はない。
「部活、そろそろ終わるだろ。今電話かけてやったら飛んでくるだろうなァ。なんせ、憧れのアネザキサンだから、な」
今日活動が早く終わったのは運動部だけで、屋内の文化部はまだ活動していた。
「正しくテメェを知ってもらうには丁度いいだろ。糞下らねぇ憧憬も、恋慕も、全部壊してやれよ」
そう言って愉悦に浸った嗤いを浮かべながら、熱く猛ったそれを蜜で潤んだ秘部に宛がう。まもりは最後の抵抗とばかりに頭を振って小さく呻きながら蛭魔の背中を叩いた。だが潤んだ碧眼と紅潮した顔でそれをされても、ただ煽っている様にしか見えない。
「丁度よく、鍵も開いてるし、な」
口角が大きくつり上がったのを見て、まもりの全身が粟立つ。眸を大きく見開いて、悲痛な声で叫んだ。
「いやぁ!やめて、もう、お願いだから…!」
「テメェのオネガイを聞いてやる道理はねェ」
笑みを崩さないまま、まもりが届かない位置で無機質なダイヤル音が響く。
「もういやぁ…!ごめ、ん、なさ…もうしないからぁ…!やめ、て、赦してぇ…!」
「言っただろうが。それを決めるのはテメェじゃねぇ」
ぐちゅぐちゅと入り口を浅く掻き混ぜながら、ダイヤルが終わったらしい携帯をゆっくりと、恭しくまもりの耳に近付ける。まもりは、混乱と羞恥で呼吸の仕方も忘れて唇をただただ震わせているだけだ。 いやだ。早く逃れたい。振り払って逃げられたらいいのに、躰の奥深くがそれを拒んでいる。じりじりと携帯が耳に近付いてくる。そうなれば、喋らないわけにはいかない。いよいよ、無機質なそれが耳に触れる。瞠目したまま、短く息を飲んだ。