擦れ違う雨(旧拍手)

サラサラサラサラ。

 外は霧の様な雨が覆って、霞掛かった様に窓から見える景色をぼかしている。当然この程度の雨で練習を中止する訳がなくて、結局いつも通りの練習を終えていつも通り悪魔と二人で部室に残っていた。今は、19時半。
 気温は確実に日中よりも下がっていて、おまけに霧雨のせいで体感温度は更に低くなっていた様だった。室内とはいえ、冷える。鳥肌の立ち始めた肌を抱く様にブラウス越しに擦って、席を立った。もう夜と言っていい時間で、風邪をひく前に暖をとろうとストーブに近付く。普段ロッカー室にはストーブを点けておくのだけれど、部室自体にはミーティングでもない限り点けない。寧ろミーティング以外なら私が点けない限り点かない。だって彼はそんな事にはまるで頓着しないんだもの。
 気温なんかまるで気にならない様にパソコンに集中する悪魔に一瞥をくれて、本当に人間なのかしら、と思った。そんな事は一度やニ度じゃないけれど。弱みも疲れも一切見せずチームを牽引し、異常に回転の速い頭脳を駆使し、迅速な判断で的確に指示を飛ばすそのカリスマ性や英知だけを見ればキャプテンに適任。の筈なのに。
後一つだけ求めるのならば、自己管理能力ね。この際性格の悪さは黙殺します。
 仮にも運動部のキャプテンである筈の彼は、防寒対策は愚か健康管理も全部二の次で、寝ても覚めてもアメフト三昧だった。自分の怪我はとことん放って置くし、風邪をひいたって休まない。それに今だって汗をかいている筈のユニフォームを着たまま寒い中データ処理をしている。

…それでストーブも点けないままだなんてやっぱり人間じゃないのかも。

 パソコンに集中したままのヒル魔君を怪訝な目で見ながら、ストーブを点けたその足で給湯室に向かう。寒くない筈はないからコーヒーでも淹れてあげよう。本当なら生姜湯がいいんだけど。芯から温まるから。やかんに火をかけながらそんな事を思ったけれど、でも仮にそんなものをいれたとしても理由を言ったって意図がわかっていたって飲む筈もないから、諦めてコーヒーメーカーを手に取った。
それにしても、何故ここまで心配する必要があるんだろう。
 普通に考えれば私はアメフト部のマネージャーなんだから、健康管理くらいは当たり前でわざわざ理由なんか考えなくったっていい。筈なのに。なんだか、心配し過ぎ、の様な気も、する。それどころか吐く息さえも、重い。なんかセナを心配するのとは感覚が違うのよね。漠然と実感しながら沸いたお湯をコーヒーメーカーに注いで、落ちるのをぼんやり眺めた。

ぽたぽたぽたぽた。

こんな風に自分の心境も、分かりやすい様に濾過してくれればいいのに。外を覆う霧雨の様に、心中はまだ、霞の向こう。


* * *


 口の中でぶつくさ呟きながらストーブ点けに行って、奇妙なモン見る様な眼で人の事観察しながら給湯室に消えていった女の方を見て、溜め息を吐いた。そのまま直ぐに目線をパソコンへ戻す。 なんなんだあの女はさっきっから。部活が終わってからずっと何か言いたそうにこっちを見ては俯く、そんな馬鹿げた動作を繰り返して結局何も言う事なく現在に至る。
 まぁどうせ口を開いたところで、健康管理がどうのとかキャプテンなんだからどうのとかそんな小言しか言わねぇだろうから、結局言われても耳を通過するだけの単語の羅列を投げ付けられたところで結果は同じだ。だからそのまま放っておいた。にしてもアレだ。あの女は他人の事しか考える事がねぇのか?
 アイシールドの正体が糞チビだとわかるまでは 朝から晩までセナセナセナセナ言いながら 年がら年中世話焼いてやがったが、それだけに止どまらず掃除洗濯買い出しその他諸々一切合切雑務を引き受ける様になった。端から見りゃ善行かも知れねぇが俺にしてみりゃ悪行以外の何物でもねぇ。自分の事は完全に二の次で、人の健康管理は気にするくせに自分はほったらかしだ。自己犠牲の精神か?ふざけんな。ンな偽善を振りかざして何になる。何にもなんねぇだろよーく考えやがれ。尤も、あの女が自覚があるとは到底思えねぇが。
 今だって きっと寒がってるだろうヒル魔君の為に生姜湯でも入れてあげよう体温まるしとか考えてやがるに違いねぇんだ。ンなモン入れやがったらタダじゃおかねぇぞ糞マネ!そんな文句を心中で垂れて、データ整理に没頭した。まもなく糞マネが持ってきた物が問題なくコーヒーだったのを見て、あぁコイツもそこまで馬鹿じゃなかったかと思った。
 ただ、糞マネが自分用に入れてきたモンが間違いなく生姜湯だと確信して、思わず出た舌打ちはそのまま放置した。糞!ンなモン常備してんじゃねぇ!


* * *


「はいヒル魔君、コーヒー」
「…」
「ヒル魔君、試しに生姜湯飲む気」
「ねぇ」
「…聞く前に答えないでよ」
「なら解りきってる事聞くんじゃねぇ」
「体温まるのに…」
「別に寒くねぇ」
「…強がってばっかりなんだから。ってあれ?どこ行くの?」
「着替え」
「え?やだロッカールームのストーブ消しちゃったわよ。点けてくるね」
「いらねぇ」
「そんな訳いかないでしょ。霧雨降ってるし寒いじゃない」
「テメェはそれでも啜ってろ」
「でも…」
「一々煩ぇんだよテメェは!自己管理もできねぇ奴に心配される筋合いなんざねぇ!」
「…え?」
「熱出して休みやがったらブッ殺す!」
「ちょ…!…言うだけ言って行っちゃった…。それよりいつ気付いたんだろ、私が風邪気味だって」


「…糞!」