天使危うし/夢と現実の向こう側(2本詰め)

【天使危うし】

 長閑な晴れの日。緩やかに風がそよいで桜が気ままに散っていく。グラウンドの端に繁った桜の下で、 欠伸を噛み殺しながらアコは弁当をつついている。

「はあぁ…午後の授業面倒臭ぁ…。こんな昼寝日和なんだから休みにすればいいのに。春眠暁を覚えずって言うし」
「気持ちはわかるけど、受験生の台詞じゃないわね。じゃあさ、眼が醒めそうな噂教えてあげようか」

隣で咲蘭が苦笑混じりにそういって、そこから得意気な顔にかえながら言葉を続けた。

「どうせアレでしょ、まもがヒル魔と付き合ってるってヤツでしょ」

噛み殺すのを諦めたのか盛大に欠伸をしながら吐き出した。眸の端には涙が浮いている。大して興味がなさそうな反応に、 咲蘭はつまらなさそうにお茶を飲みながら言った。

「なんだ、知ってたの。でもさぁ実際どう思う?」
「今朝聞いてさぁ、すぐまもに聞いてみたんだけど全力で首振られちゃった。でもねぇ…」
「でも?」
「アレで付き合ってませんって言われても…ねぇ」
「やっぱりそう思うよね。部活以外でもよく一緒にいるし」

この話題の当事者は、部活の打ち合わせでここにはいない。三年になった今でも春大会や夏合宿の準備で、 時々こうして昼休みに抜けることがあった。しかも、弁当二つ持参で。

「ヒル魔の分のお弁当も持っていったりするんでしょ。いくら世話焼きだからってねぇ…」
「恋愛モノの本とか映画とか割と見てるのに気付かないのかな」
「人の事は敏感なのに自分の事は鈍感だからねぇ」
「恋だとは思ってないのかも」
「相手が悪魔だから余計思わないのかな」
「でもまもってさ、ヒル魔と喋ってる時が一番のびのびしてる気がするよね」
「遠慮なく言いたいこと言ってるもんね。あそこまで主張してるところ見たことなかったかも」

 姉崎まもりは才色兼備、品行方正をそのまま人にしたような人物だった。正義感の塊で、 理不尽な事を言われれば臆さずに反論する。 ただ、やや過剰に相手の事を考えるあまり自制が働くのか、 言い過ぎることはなかったし言いたい事を飲み込むこともままあった。 ところが何故か、対蛭魔に関して言えばそれが無いのだ。

「ヒル魔も煽ってる感じはあるけどね」
「それでうまくバランス取れてるのかもね」

まもりの欠点は、賢く優しいが故に気を回しすぎて盲目になったり猪突猛進したりするところで、 結果知らないうちにフラストレーションが溜まってしまうところだと二人は思っていた。 人知れず悩んでいたのも知っている。それが高校に入ってから、 いや特にアメフト部に入って蛭魔と絡む事が増えてから徐々に目立たなくなってきた。 無くなる事はないだろう。ただ、二人は少しでも軽減されたことが純粋に嬉しかった。

「後は、まもの超鈍感さえなんとかなればなー」
「天然もね」

はーっと揃ってため息を吐いた。呆れた様なため息は、桜と一緒に風に散っていく。

「ヒル魔はどう思ってるんだろ」
「満更でもないんじゃないの。やたらニヤニヤしてるし」

そう言って、アコはSONSONの袋に手を突っ込んだ。まもりが絶賛していたSONSON限定シュークリームを手に取る。 曰く苺の酸味とクリームの甘味の塩梅が絶妙らしい。ピリピリと袋を破っていると、 校舎の陰からまもりとヒル魔が歩いてきた。

「あ、まも達だ」
「噂をすればなんとやら、だね」

打ち合わせが終わったのだろう、二人が歩いてきたのはアメフト部の部室がある方角からだった。 何かを話ながらこちらに背を向けて昇降口に向かって歩いていく。 自然に見えるが、心なしか二人の体の距離が近い、気がする。

「…近くない?」
「…近い、よね」
「あの距離でヒル魔と喋れるのまもくらいだと思うんだけど」
「自覚無いよ、あの子」
「だよね」

 遠目で二人を観察していると、まもりが持っていたペットボトルをヒル魔が流れるように掴み取って、 軽やかにキャップを外して中身を煽った。その間も話続けていたまもりは、 ボトルから口が離れたヒル魔からまたも流れるようにそれを受け取って、何の躊躇いもなく、飲み口に己の唇を、つけた。

「「~~~~!!」」

声にならない叫び、というのはきっとこういうことを言うのだろう。それもそうだ。 普通の男子が相手でさえ間接キスはネタになるのに、選りに選って相手が泥門の悪魔だ。 他の誰かが見ていたら、きっと卒倒している。
アコと咲蘭がブルブル震えていることなどまるで知らない二人は、楽しげに会話を続けている。 そしてさりげなくヒル魔の左腕がまもりの腰に回って、そっと添えながら軽快に歩を進めた。
 今度こそ傍観していた二人は卒倒しそうだった。穏やかな筈の春風も、薄ら寒い気がする。 当のまもりが何の抵抗もせず、ただただ自然だったから尚更だ。 アコが持っていたシュークリームを力を入れすぎて潰しそうになった時、チラリとヒル魔がこちらを振り返った。 ニヤァと口角を上げながら、長い人差し指を薄い唇に当てた。その行動にまもりは気付いていない。 見てしまった二人は首がとれそうな程縦に動かし続けて、悪魔と天使を見送った。狐に摘ままれたようだった。

「……本当に、アレで、付き合ってない、の?」
「まもは、少なくともそう、思ってるって、ことだよね」

喉に引っ掛かって言葉がうまく出てこない。

「でもヒル魔はアレ、鈍感すぎて気付いてないの解っててやってるってことだよね」
「あの顔は間違いないよ。妙に愉しそうだったもん。…ってことは…あれ?それって、ヒル魔も気があるって…」

尻すぼみになって言葉が消えて、暫くの沈黙の後、思い出したようにアコはやっとシュークリームに口をつけた。 ウリだった筈の酸味も甘味も塩梅も何もわからない。早々に食べるのを諦めて、 呆然としていた咲蘭と二人で揃って俯いて合掌した。 魔の手にかかっちゃったんだね、まも。 胸の内でそっと、悪魔に気に入られた親友の無事を祈った。


【夢と現実の向こう側】

 まもりは自宅のリビングで、テーブルについた肘に顎を乗せながら百科事典と見紛うそれをパラパラと捲っていた。 チラチラと目に入るのは海の見えるチャペル、森の中の教会、青空の下の聖なる鐘。キラキラと輝くプラチナの指輪に新郎新婦の笑顔。 かつて思い描いた結婚式がここに詰まっている。真面目で、優しくて、常に笑顔で、包容力に溢れた理想の旦那様。 マンガの恋愛に心踊らせて、映画のロマンスに胸が締め付けられて、ドラマの純愛にときめいて。 それらを全て詰め込んだ様な人が目の前に颯爽と現れて、迎えに来てくれると信じて疑わなかったのはいつまでだったか。 よく考えなくても、そんなことはあり得ないとわかっている筈だった。 それでも希望を捨てきれなかったのは、未だに現実が受け入れきれないからだろう。 それを繰り返していると、キッチンからコーヒーを入れていたヒル魔がマグカップを二つ持ってきて、まもりの様子を見て止まる。 パラパラ目的もなく捲られ続ける質量のあるそれを見て、怪訝な顔つきでまもりの向かい側に座った。

「式場探しで浮かれてる女っつーよりは、誰を呪おうか悩んでる魔女っつー感じだな」
「失礼ね。さっきまではこれでもウキウキしてたんです」

結婚情報誌を見始めた頃は確かにまもりの眼もキラキラしていた。期待と夢に胸が膨らんだ。 だが、見れば見るほど現実とのギャップが露呈して最初の思考に至る。

「見てるうちに現実に引き戻されちゃったんです」
「ほー?」
「そもそもチャペルも教会も聖なる鐘もヒル魔くんに似合わないし」
「悪魔は神には祈らねぇっつったろ」
「プラチナの指輪なんてありきたりなものが出るとは思えないし」
「今更ンな所で安定求めるんじゃねぇよ」
「ヒル魔くんと笑顔で見つめあうとか想像しただけで鳥肌立っちゃって」
「サラッと失礼なこといってんじゃねぇ」
「全然こんな予定じゃなかったのよ。真実は小説より奇なりなんてよく言ったものよね」
「聞くまでもねぇがどんな予定だったんだよ」
「じゃあ聞かないでよ…。今言ったことが全部似合う人が理想だったの。でも」
「でも?」
「理想通りだったら今頃退屈すぎて死んじゃってたかも」
「はっ、ならなんで糞くだらねぇ理想が詰まった糞重てぇ雑誌なんか買ってきたんだよ。漬け物石にでもするつもりか」
「たぶん一生に一度しかないから、一つくらい理想通りにしてみようかなと思って」
「あ?たぶんじゃねぇよ、一度しかさせねぇよ」
「コレ、書いて」
「……おい」
「いいでしょ、書いて役所に出すだけなんだもん。ずっと飾っておく訳じゃないし」
「…糞おめでてぇ糞ピンクの紙に俺の名前書けってぇのかよ」
「うん」
「どっから持ってきたこんなもん」
「雑誌の付録」
「糞ピンクのコレに書くのが理想かよ」
「そうよ。他は譲歩したからこれくらいいいじゃない」
「断る」
「何で?!」
「俺の名前をこんな糞イカれた糞ファンシーな紙に書けるか!字面考えろよ!似合うと思ってんのか?!」
「……ふふふ、に、似合わない、デス」
「糞、笑ってんじゃねぇよ。第一俺が結婚なんて形式ばったものしてやるってだけで十分譲歩してるんだぞ。 テメェの糞くだらねぇ理想なんか全部捨てちまえ」
「ふふ、確かにそうかも。わかったわ、諦める」
「書くんならこっちにしとけ」
「え…取りに行ってたの?」
「テメェの名前と証人欄埋めたら終わりだ。テメェの親にサイン貰っとけよ」
「…案外理想通りだったのかなぁ」
「あ?なんか言ったか」
「イイエ、何にも言ってませーん」