7.漆黒の中の光明(後編)

PM6:10


「しっかし、やっぱり近くで見てもかなりの上玉だな」
「ああ、あの野郎に一泡ふかせて金も貰える上にこんな女を好きにできるんだからな、割が良すぎるぜ」

 狭い路地の突き当たり、少し開けたスペースに下卑た声が響く。 壁を背にしてまもりを座らせて、男二人がニヤニヤと下品な笑みを浮かべてそれを眺めている。 きちんと着られたブレザーの上からでもその豊満な胸が見て取れるて、気を失っていながらも匂いたつ項に、 スカートから覗く白い足にゴクリと喉がなる。さあ、どうやって堪能しようか。 せっかくの上玉なのに場所が路地裏なのは残念だ。気絶している相手をホテルに連れ込むのは余りに不自然過ぎる。 まあ、こういうシチュエーションだとビデオも高く売れるらしいから妥協することにした。

「まさかこうも簡単にいくとはな」
「ああ、ヒル魔はいないしこの女が1人になる時間もドンピシャだったし、運が味方についたってか?」
「で、いつ見張りとビデオ担当が来るんだっけ?」
「もうすぐ来る筈だ。集団で後つけると目立つっつって別行動だからな。ったくあの女も用心深いぜ」
「そりゃ蛭魔を撒こうってんだからな、それくらいやるだろうよ。連絡もメールだけだしな。 ま、貰えるもん貰えりゃそれでいいんだけどよ」

すると遠くから数人の足音が聞こえてきた。漸く待ち人が来たらしい。 期待と興奮で高鳴る胸を抑えつつ、1人が振り返った。

「おい、遅かったじゃねえか。こっちはもう準備万端……っ」

ひゅっと息を飲んだ音がして言葉が切れて、それを怪訝に思ったもう1人も振り返る。

「なんだ?どうし…ヒ、ヒル魔…?!なんでここに…!」

そこにはいる筈のない逆立てた金髪の男が立っていた。ピアスと鋭い目が街灯に照らされて怪しく光る。

「よぉ、随分愉しそうなことしてんじゃねぇか」

「お前…アメリカ行ってんじゃなかったのか…!」
「そ、そうだよ…だから今日決行して………?!」

「気付いたか?いくら馬鹿でもこれくらいはわからねぇとなァ」

「な…おい、どういう…」
「……嵌められたんだよ、俺達は。最初からこの悪魔に…!」
「え……」

先程までの高揚感が嘘の様に愕然とする男二人を、さも愉しげに嗤いながら見下ろして、大袈裟な語り口で喋りだした。

「テメェらが張った罠に引っ掛かって情報垂れ流してた連中なぁ、途中から俺が言ったことだけ書き込んでたんだよ。 いやぁ喜んで協力してくれたもんで、手間が省けマシタ」

悪魔の嗤い声が夜闇に響く。

「俺がアメリカ行ってるっつーのも、姉崎が1人になる時間帯っつーのも嘘だ。 時間帯は絞り込んだ方が動きやすいからなぁ。ただ、姉崎の帰宅ルートだけは本当だ。 リアルだっただろ?真実に埋め込まれた嘘っつーのは」

 ここまできてやっと2人は気が付いた。欲に目が眩んで美味しい話に飛び付くのが余りに愚かしい行為だったことに。 首謀者の女の策略も、この男の前では赤子の手を捻る様なものだった。 初めから勝機など1%もなかったことに気が付くのが遅すぎたのだ。

「テメェらが待ってる連中はここには来ねぇ。ビデオカメラやるからなかったことにしてくれだとよ。 所詮寄せ集めなんざそんなもんだろうなァ」

大きく腕を広げて悠然と言葉を紡ぐ。その姿は宛ら黒翼を広げた悪魔だ。

「サァ、どうする?来るかわからねぇ助けでも呼ぶか?善良な市民のフリして警察でも呼ぶか。 まぁ呼んだところでテメェらの悪行が明るみに出るだけだがなァ。しっかりこのビデオに収まってるぜ。 傷害、拉致、監禁未遂がな」

目の前の男は嗤っているが、眼は全く笑っていない。

「ついでにいいこと教えてやるよ。コートの内ポケット調べてみろ。 テメェらのどっちかに盗聴機が仕込んである。テメェらの糸引いてた女はそれ聞いて今頃トンズラしてんだろうなァ。 いいように使われてご苦労なこった」

 侮蔑と軽蔑が絡み合ったような視線と、首謀者が逃げたという真偽不明の情報を突き付けられて、 男達の体はカタカタと震えだした。腹の底から沸き上がる恐怖に、背を伝う冷や汗に思考が全て持っていかれて、 奇声を発しながら衝動的に蛭魔に向かって走り出す。強行突破のつもりか攻撃のつもりなのかは定かではない。

「「ぅわああアぁァあああァァ!!」」

 蛭魔は難なく後ろに飛び退いてある程度距離をおいた時、横から何かが男達に向かって突進した。 腰の入った黒木と戸叶のタックルを真面に受けて吹き飛ばされて、盛大な音をたてながらゴミ置場に突っ込んだ。 現役アメフト部のタックルを受けて無傷の人間はそうはいないだろう。男達はピクリとも動かない。 どうやら気絶しているようだ。

「あっぶねー!いくらなんでも煽りすぎだろ!ナイフ持ってたらどうしてたんだよ」
「持ってねぇのは知ってた」
「……一体どこまでわかってんだよ…」

パンパンと制服についた埃を払いながら、呆れたように2人は言う。
 そんな2人を尻目に蛭魔は眠ったままのまもりに近付いた。 あの嗤いも蔑んだ眼も、鳴りを潜めて静かにまもりを見つめている。 胸ポケットに入れたケータイが不意に振動して無表情でメールを一瞥すると、ズボンのポケットにそれを押し込んだ。 眉間に微かに皺が刻まれる。

「…で、どうすんだっけ」
「アレ、やるんだろ」
「俺達がやられたアレだろ」
「……ズボンとパンツどっち剥くよ」
「勢いつけて両方剥くとかどうよ」
「そうするか」
「そうしようぜ」

 黒木と戸叶はゴミ置場から気絶した2人を引き摺り出して、意を決して男達のズボンのボタンに手をかける。 かつて自分達がやられたあられもない姿を写真に収めようとしているのだが、どうにも動きが覚束ない。 一度やられているからか、多少なりとも同情心が浮かぶらしい。

「ちょっと待て。剥くのはコイツを移動させてからだ」

声がした方を振り向くと、蛭魔がまもりを抱えて歩いてくる。所謂お姫様抱っこというやつだ。

「「………へぇー」」
「なんだ。何か言いてぇことがあるなら聞いてやってもいいがな、命の保証はできねぇナァ」

お決まりの笑い声に犬歯を剥き出した笑顔を向けられて、2人は揃って首を振った。 お姫様抱っこは突っ込まない方が良さそうだ。
フン、と鼻を鳴らして悠然と路地を抜けて行く蛭魔の背を見送って、黒木と戸叶は大きくため息を吐いた。

「…とっとと終わらすか」
「おう、汚ねえモンまじまじとは見たくねえもんな」
「終わったらモンジ誘ってメシ行こうぜ。ちょうどアイツも終わってる頃だろ?」
「そうだな、愚痴でも聞いてやるか。面白いネタも入ったしよ。…と、その前に」

何かを思い出したように戸叶は手を止めて、のびたままの男達に向かって手を合わせた。

「何してんだよ」
「コイツら一生ヒル魔の奴隷確定だからな、合掌してんだよ。俺達は関係ねえから祟らないで下さいってよ」
「ああ……俺もやっとくか」

そう言って、2人は手を合わせて暫く祈った。祈った先はもちろん、神ではなかったが。


 ムサシは、路地裏から出てきた蛭魔を見つけて軽トラのエンジンをかける。 間も無く助手席のドアが開いて、蛭魔はまもりを座らせた。未だまもりは眠ったままだ。

「姉崎は大丈夫なのか」
「たぶんな。キツイ薬じゃなさそうだし、もう目も覚めるだろ」
「お前はどうするんだ」
「…まだ行くところがある。テメェは早くコイツを連れてけ」
「アシは?」
「奴隷呼んである」
「…顔会わせなくていいのか」
「今は会わさねぇ方がいいだろうが。事が片付いてからだ」
「逃げるんじゃねえぞ」
「逃げるかよ」

 バタンとドアを閉めて、蛭魔は手をヒラヒラと振りながら車を背にして歩きだした。 数分と待たずに軽トラが走り出す音がしたのを合図に、 ポケットに突っ込んだケータイを手に取って十文字から送られてきたメールをもう一度眺める。 その顔には珍しく、自嘲気味な笑みが浮かんでいた。


PM7:00


  日はすっかり落ちて、街灯が物悲しく地面を照らす。帰路に就く人が多い時間帯とはいえ、 住宅街の中心ともなれば通行人も限られてくる。
 女はブロック塀に背中を預けて煙草に火をつけた。街灯の影に橙の火が浮かんで、それが呼吸に合わせて明滅する。 ぼんやりとそれを眺めながら己の行動の荒唐無稽さを噛み締めた。
 あの日曜日のホテルの一件の後、どうやって帰ったかわからない自室で立ち尽くしていた。 蛭魔のあの態度は、強がりや照れがそうさせていると思い込んでいた。 いくら大人びているとはいえ高校生だ、自分が手を差し伸べれば答えてくれると思っていた。 だが、あの日思わず溢した告白以降一度も自分を見なかったのを目の当たりにして、 それが全くの思い込みだったことを知った。
 あと一言でいいから話がしたい。その一心で覚束ない手でケータイを取り出して、発信履歴から番号を呼び出す。 ところがコール音が鳴る筈だったそれから聞こえたのは、 相手のケータイが使われていないことを伝える無感情なアナウンスだった。
 その無機質な声に今度は沸々と怒りが込み上げてきた。たった一つの告白で連絡手段まで絶たれるなんて、 他に相手がいるに決まっている。そうでなければ受け入れられない筈がないのだ。
 それから、取り憑かれた様に彼とアメフト部周辺を調べだした。人手は今時金さえ積めば何とでもなる。 特に、蛭魔に一泡吹かせられると言えば面白いように釣れた。そうして得た情報から、狙いは1人に絞り込まれた。 そしてターゲットの写真を見た時に怒りが絶望に変わったのだ。 自分と似たような背格好と髪色の女で、自分がこの女の代替品だと気付いたからだ。 最初はただ会って文句の一つでも言ってやろうと思ったがやめた。完膚なきまでに叩きのめすことにした。 …そうだ、二度と外に出たくなくなるような卑猥な動画を撮ってやろう。そしてそれを手に彼に言うのだ。 貴方に似合うのはこんなふしだらな女じゃなく、私だと。
 結局、そんな支離滅裂で世迷い事のような計画はあっさり頓挫した。初めから、全て解っていた。 こんな行為は何の意味もないし、したところで彼が自分を振り返ることはない。 それに、彼女にいくら酷い仕打ちをしたところで溜飲が下がる訳でもないのだ。それでも気が済まなかった。 たった一度抱き締められたことが、僅かばかりの回数肌を重ねた事実がずっと脳裏に焼き付いている。 思考を麻痺させるような痺れを伴いながら。
 だからあの時、計画も盗聴もバレていた事がわかった時、逃げようとしたのをやめた。 彼に輝かしい思い出を残すことが無理なら、最後に物理的な疵痕を遺してやる。 彼と彼女に、私の淡い恋心を踏みにじった事実を忘れさせない為に。
ポケットに入れた硬くて冷たい物の感触を確かめながら、彼女-姉崎まもりが帰ってくるのを待った。

「待ってても誰も来ねぇよ」

 静寂に突如現れた声に我に返った。はっと顔を上げるとずっと会いたいと思っていた男が正面に立っていたが、 ただそれは感動の再会なんてキレイなものじゃあなかった。

「な…なんでここに…」

絞り出した台詞を言い終わる前に、 蛭魔は革靴を鳴らして一気に距離を詰めてポケットに差し込まれた女の手を掴み出した。 勢いよく出された手には折り畳みナイフが握られていて、蛭魔はそれを確認するなり奪い取って自分のポケットにしまうと、 大きく一歩後退して女と距離を取った。

「……!」
「物騒なモン持ち歩きやがって。何日か前にネットでナイフ買ってやがったからな、ヤマ張っといて正解だったぜ」
「なんでわかったの…?!決めたのはついさっきなのに…!」
「あぁ、だから見張らせてた。テメェが寛いでたファミレスでなぁ。 盗聴が俺にバレてるのがわかった時点で90%以上の確率で逃げると踏んだ。 ただナイフの事が引っ掛かってなぁ、自暴自棄になって糞マネを襲う線を残してた」
「…あんたのお仲間はちゃんと仕事するのね。いくら詰んだの?」
「テメェと一緒にするな。寄せ集めの連中とは出来が違うんだよ」
「……あの女の子は、どこに行ったの?」
「今日は別の場所にお泊まりだ」
「そこまで織り込み済みだった、ってことね…」
「そういうことだ」
「ねぇ…あの子と付き合ってるの?」
「いや」
「じゃあ好きなの?」
「……わかんねぇな」

女の体が小刻みに震える。そしてその震えを声に乗せたまま女は叫んだ。

「だったら!私でいいじゃない!雰囲気が似てるから私を選んだんでしょう?! だったらそのままあの子じゃなくて私を選びなさいよ!」
「そういう問題じゃねぇってとっくにわかってんだろうが」
「…っ!」
「恋してるフリも善人のフリもやめろ。言っただろうが、もう終わりだってよ」
「……自分でもよくわからないのに、彼女に構うのは何故?」
「わかんねぇけどわかったんだよ、馬鹿なことしてたっつーのだけはな。俺も、テメェもだ」
「…」
「もう潮時だ。いい加減現実を見ろ。大人ぶってるクセに高校生のガキに囚われてんじゃねぇよ。 しょーもねぇ連中に金払うんなら自分に使え」

そう言った蛭魔の表情は、普段の尊大さは鳴りを潜めて自虐的だった。 まるで、自分に言い聞かせているようにも見える。

「じゃあな」

くるりと踵を返すと、弱々しい声が背中に投げられた。

「待って。…警察に、突き出さないの?」
「未遂だったからな、無かったことにしてやる。ただし、次があれば完膚なきまでに叩きのめしてやる。 テメェがしようとしたみたいに、な」
「……ふふ、わかったわ」

闇に消えていく金髪を見送って、女は晴れ晴れとした面持ちで夜空を見上げて静かに別れの言葉を呟いた。