3.恋は虹色

 風を切りながらアスファルトをローラースケートが滑る。
頬を掠める空っ風が冷気を纏ってチリチリするが、そんなもの、ちっとも気にならない。土曜日にまもりと会話を交わしてからずっと、心臓がドキドキしっぱなしだ。
 だって、長いことそうあって欲しい、そうなって欲しいと思っていた事が、やっと一歩進もうとしているのだ。 まさか一番縁遠そうだったバレンタインデーに、チョコじゃなくて手編みのマフラーをあげようなんて、もしかしたら世紀の第一歩かもしれない。
抜けたような青空をグングン昇って行きそうな高揚感、どんどん膨らむ想像に顔は緩みっぱなしだ。耳は切れそうに冷たいけれど、体はポカポカして全然寒くない。しかもウズウズする。誰かに言いたくてたまらくない。その日の内にセナに話したものの全く気持ちは収まらず、だからといって手当たり次第言い散らかす訳にもいかずに、なんとか今日まで我慢したのだ。

バカ兄に言ったって、話がややこしくなるだけだし。でもあと一人だけ、よー兄には言わなきゃ。

言わなくたってどうせ知ってんだろうから自分が言ったって何も変わらない、なんて言い訳をしながら泥門高校へ急ぐ。単に話したい欲求を解消したいのもあるが、何より反応が見たかった。分かりやすくはないだろうけど微妙な変化はある筈だ。それは、ある種の期待を持って日々二人を観察していた鈴音のカンといったところだ。
やっぱり、恋は楽しい。あの二人は恋とは思っていないかもしれないが、あれは間違いなく恋だ。 そうじゃなければ、こんなに興奮することなんてきっとない。恋は、特に他人の恋は実に甘美なのだ。鈴音は鼻唄混じりに地面を蹴りながら、高校の正門をくぐった。


 練習が終わって片付けを始めた頃、部室に引っ込む蛭魔の背中を追いかける。 みんなが来る前に話したかったから、このタイミングを待っていたのだ。 数分遅れて鈴音が部室に入ったとき、既に蛭魔は長い足をカジノ台に載せて膝に置いたパソコンを叩いていた。 鈴音は、すすす、と滑るように間を詰めると、子供が内緒話をするように囁く。 「ねぇねぇ、よー兄」 「なんだ」 「バレンタイン用にマフラー編むんだって」 「知ってる」 「あれ、誰が、とは聞かないんだね」 「俺を誰だと思ってやがる」 「さっすがー!やっぱり知ってたんだね。じゃあ、誰に渡すかは?」 「シラネ」 「それも知ってるんでしょ」 「どうだかなぁ」 イマイチはっきりしない。でも、恐らく知っている。鈴音は頬を膨らませながら試しに聞いてみることにした。 「じゃあもしさぁ、よー兄に渡そうとしたら受け取るの?」 「サアネェ」 「あ、色見て決めるとか?まも姉のことだもん、変な色じゃないと思うよ」 「黒と青だろ」 「…なんだ、私より詳しいじゃん」 「俺が知らねえ事はねぇ」 ケケケ、とお決まりの笑い声をあげながらもタイピングが止まることはない。 広角を上げてやや瞳を眇めているところをみるに、どうやら機嫌は良さそうだ。 「すっごく楽しそうだったよ、マフラーの話してる時」 「だからなんだ」 「だからー!期待して!いいと思うの!」 ケッと一つ吐き捨てて、呆れたような視線を向けられる。 「誰が期待なんざするか。人のことゴシャゴシャいう前に自分の心配しやがれ。何回失敗してやがる」 「げ」 「昨日で遂に二桁のったなぁ。糞チビが休みやがったらテメェのせいだからな」 「だ、大丈夫だもん!昨日のはギリギリ食べられたし!」 「焦げてんのか溶けてんのかわかんねぇヤツがか」 「なんでそんなことまで知ってんの?!」 「愚問だな」 涼しい顔をしている蛭魔とは対照的に、鈴音の顔はみるみる赤くなっていく。顔が熱い。火が出そうだ。いや、多分、もう出てる。 「もう!バレンタインまでに食べられるようになればいいんだもん!」 「ケケケ、せいぜい頑張りやがれ」 しまった。ついムキになってしまった。気付けば話がずれていっている。聞きたいのはこんなことじゃないのに。 鈴音は慌てて話を戻そうとしたが、僅かに遅かった。着替えを終えた面々が部室に入ってきたからだ。 「おら、話は終わりだ。とっとと帰って精々精進するんだな」 ニヤァと意地の悪い笑みを浮かべてあっさり話を打ち切られてしまった。あと、あと一つだけ、聞きたかったのに。 本当は、楽しみにしてるんでしょ? きっと答えてはくれないけど、表情が教えてくれるはず。さっきだって機嫌良くずっと話を聞いてくれたし。 嫌だったら、煩ぇとか言ってとっくに話は終わっている。 なんとか話しかけようと試みたものの、カジノ台にあった足は下ろされて無表情でパソコンを叩いている。 駄目だ。こうなったらもう話す余地は全くない。鈴音は盛大に肩を落として、諦めて更衣室に向かうことにした。 チアの衣装のまま帰るのは、流石に恥ずかしい。セナに一声かけてから着替えに行って、制服に袖を通しながら何を話そうか考える。 でも考えれば考えるほど、やっぱり体がウズウズする。もどかしかった二人の関係が動き出しそうなのだ。 楽しくない訳がない。それに、よー兄も満更でもなさそうだったし。 急いで着替えを終えた鈴音は、弾む心を押さえてセナに向かって走った。